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東ドイツで初めての人民蜂起 Volksaufstand des 17. Juni 1953

1953年6月17日
Volksaufstand des 17.Juni 1953

西ドイツの国民がクルマと旅行に楽しみを見つけた1950年代初頭、東ドイツでは、“スターリンの申し子”との異名を持つウルブリヒトが執る統制政治に、ひずみが生じ始めていた。

階級闘争を強化

ナチス時代にモスクワへ亡命していたヴァルター・ウルブリヒト(Walter Ulbricht)は、100人以上のドイツ人亡命仲間がスターリンの恐怖政治によって粛清された中で生き残り、戦後に東ベルリンへ帰還後、スターリンの命令でソ連占領地区の共産党と社会民主党をドイツ社会主義統一党(SED)へと合併させた政治家である。そして1949年10月7日にドイツ民主共和国(DDR=東ドイツ)が成立するや、いかにも老獪(ろうかい)な政治家らしく、まず副首相の座について情勢を観察。翌年7月には、初めて設置された党中央委員会の書記長に就任し、実質的な権力を握ったのだった。

まず就任に先立って、体制批判を取り締まる国家保安省(SSD=シュタージ)を設立。続いて“帝国主義国家”西ドイツと接する国境線域から500メートル離れた所まで、住民を立ち退かせた。そして52年7月の党大会で、「階級闘争の強化」を高らかに宣言。農業を集団農場化し、工場・建設労働者のノルマを10.3%増やすと発表する。

立ち上がった労働者たち

その結果は惨憺(さんたん)たるものだった。重工業の拡大を優先したことで、生活物資の不足と食糧危機が起きた。停電も頻発し、多くの“人民”が西へ逃亡を始める。するといみじくもほぼ同時期の53年3月4日、ソ連ではスターリンが脳卒中のため急死し、クレムリンに後継者争いによる政治的空白が発生した。

ソ連指導層にすれば、この時期に東ドイツが政情不安定になることは避けたい。しかしウルブリヒトは危機を認識するどころか、5月13日には労働時間の延長を提唱。「このままだと2週間で東ドイツは消滅する」と、ウラジミール・セミョーノフ駐東独ソ連最高司令官は警告を発する。

6月11日、やっと路線変更を決めたSEDは、手工業、小売業を民営に戻し、集団農場化を中止した。逮捕していた牧師を釈放し、教会機関に一定限の自由も与える。しかし、労働者に課したノルマは取り消さなかった。

最初のストライキが発生したのは6月16日。東ベルリンのスターリンアレー(現・カールマルクスアレー)とフリードリヒスハインの工事現場で働く建設労働者たちが、ライプツィガー通りの労働組合ビルと政治局へ向かって行進を始めたのである。

約500カ所でデモ

その日の午後、政治局はついにノルマの廃止を決定した。が、時すでに遅し。デモ隊の要求は「自由選挙」「ドイツ統一」「ウルブリヒトの辞任」へとエスカレートし、その状況を西ベルリンの米セクター(区)から放送局RIAS(Rundfunk im amerikanischen Sektor)が報道する。東ドイツに囲まれた西ベルリンは、事実上は西ドイツの特別州でありながら、形式上は米・英・仏の信託統治領のままだったため、東西統一までこのセクターが存在するのである。

翌17日、ハレやイエナなど工業都市を中心に約500カ所で民衆がストライキ体勢に入った。参加者は労働者を中心に、医師、大農場主、家主、牧師などさまざまな階層から40~150万人。デモ隊はSEDの事務所を占領し、刑務所やシュタージの建物などになだれ込んだ。東ベルリンではデモ隊と人民軍の衝突が起こり、政治局はソ連当局に保護を求める。

ソ連軍戦車の出動

午後1時。東ベルリンに駐屯するソ連陸軍が非常事態宣言を発した。これは、戦時国際法によりソ連が行政権を実効することを意味する。16師団から戦車が出動し、民衆は蜘蛛の子を散らすように散り散りになった。突発的に発生した抗議行動だったため、指導するリーダーがいなかったからだ。その結果、激しい衝突は起こらず、直接・間接的に命を落とし た犠牲者は55人と、決して多い数ではない。

一方、西側はこの事件を傍観するばかりだった。米国はソ連が仕掛けた罠ではないかと警戒し、英国のチャーチル首相は「(デモは)4国均衡を脅かす行為だ」と批判。西ドイツは「6月17日」を国民記念日に決め、西ベルリンのティアガルテンを貫く大通りを「6月17日通り(Straße des 17. Juni)」と改名するが、それ以外に何もできない。こうして東側陣営で初めて起こった自由化運動は、歴史の一コマで終わったのである。

16 November 2007 Nr. 689

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 18:33  
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