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水彩画からのぞく芸術の世界 寄り道 小貫恒夫

67. ゴッホ⑦:ゴーギャン来る

アリスカン
アリスカン

アルルで新しい絵画運動のユートピアを夢見ていたゴッホのもとへ、とうとうゴーギャンがやって来ます。当初はゴッホとの共同生活を渋っていたゴーギャンですが、ゴッホの弟であるテオからの経済的援助の申し出は、困窮していた彼の気持ちを動かしました。知らせを聞いたゴッホは喜び、急いで彼を迎える準備を始めます。

それまではカフェの1室で寝泊りしていたゴッホですが、「黄色い家」をアトリエ兼住居として借り、ゴーギャンのための家具なども揃えています。部屋を飾るため、ゴーギャンが来るまでにあの有名な連作「ひまわり」を4枚も描きました。ところで、この「ひまわり」は生涯7枚制作していますが、描かれているひまわりの半数以上が枯れています。これは単に形として面白く感じていたのか、それともその「はかなさ」を表現しようとしていたのでしょうか。ひょっとすると、「わびさび」の世界を感じ取っていたかもしれませんね。

そういえば、オランダの伝統的な花や果物の静物画でも、チョウやムシ、なかにはトカゲなどが一緒に描かれている作品がたくさんあります。これは、「命あるものはやがて朽ちる」ということを表現したもので、キリスト教的な教えの影響もあるのかもしれません。

さて、1888年10月にゴーギャンとの生活が始まると、2人は連れ立って精力的に出かけています。アルル郊外にある「アリスカン」にも足繁く通いました。ここはローマ時代のお墓で、石棺がゴロゴロと無造作に置かれた不思議な空間。彼らも気に入ったようで、何枚も描いています。ゴッホは感情をそのままキャンバスにぶつけていますが、ゴーギャンの絵画は緻密に計算された構図が特徴です。ゴーギャンが描いた1枚に、お墓に沿って流れる小川で3人の女性が佇んでいるものがありますが、白いショールを肩から掛けていることから、アルル地方の民族衣装と推測されます。ゴーギャンは実際のモチーフを描きながらも、想像力を働かせて画面構成をしていたのです。ゴッホにもその方法を勧め、実際1枚だけゴッホはその手法に挑戦していますが、どうもうまくいかなかったようです。

そんな正反対の性格をもった2人の共同生活は、長く続くはずもありませんでした。そしていよいよその年の12月、あの事件が起こってしまいます。

 
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小貫 恒夫

小貫 恒夫 Tsuneo Onuki

1950年大阪生まれ、武蔵野美術大学舞台美術専攻。在学中より舞台美術および舞台監督としてオペラやバレエの公演に多数参加。85年より博報堂ドイツにクリエイティブ・ディレクターとして勤務。各種大規模イベント、展示会のデザインおよび総合プロデュースを手掛ける傍ら、欧州各地で風景画を制作。その他、講演、執筆などの活動も行っている。
www.atelier-onuki.com
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