広島と長崎からの警鐘、核兵器の廃絶を目指して

6 September 2019 Nr.1105 文・写真 井野 葉由美

広島に原爆が投下された8月6日から長崎に投下された8月9日まで、聖ペトリ教会の敷地の一部にアクセル・リヒターという芸術家による、一時的な「Hiroshima-Nagasaki-Platz」という広場が設けられました。6日のパフォーマンスでは、彼は原爆とすべての戦争の犠牲者に追悼の意を込めて、半径6メートルくらいの円の中に砂をまき、日本庭園のように、ほうきで同心円状に筋を描きました。6日16時からはその広場において、ドイツのさまざまな平和団体などが協力して、核兵器廃絶を訴える集会が行われました。

アクセル・リヒター氏による一時的な「Hiroshima-Platzアクセル・リヒター氏による一時的な「Hiroshima-Platz」

ハンブルク副市長のフェーゲバンク氏やICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)によるスピーチがあり、集まった人々は時々拍手で応えながら、熱心に聞き入っていました。そこで初めて知ったのですが、ドイツ国内プファルツ地方のビューヒェル航空基地には、米国が所有する原爆が20発も保管されているそうです。ドイツ自体は核兵器を持たないことになっているのに、他国の核兵器が国内に存在していることに矛盾を感じます。

ボランティアの人々による朗読。後方には講演者の姿がボランティアの人々による朗読。後方には講演者の姿が

続いて、原爆投下時の様子を描写した井上ひさし氏の小説の一部が、ボランティアの人々によってドイツ語で朗読され、「原爆を許すまじ」の歌が日本語と英語で歌われました。一般的な映画の戦闘シーンはカッコよく描かれることが多いですが、現実世界でひとたび戦争が起これば生活は一変し、悲惨な日常が有無を言わさず訪れます。そのことが良く表現されていました。

スピーチに聞き入る人々スピーチに聞き入る人々

数々のスピーチの中でも特に、聖ペトリ教会のクルーゼ牧師が、ディートリヒ・ボンヘッファー(第二次世界大戦中、ヒトラーに抵抗して処刑されたキリスト教の牧師)の言葉を引用しながら「平和は、平和によってしか実現しない。平和(Frieden)と安全(Sicherheit) は別物である」と語ったのが、印象に残りました。「安全は、自分を守るために他者を排除しようとする。時にはそれが武力によって行われる。平和は、他者の存在を認め、従順に道を探る」とのことです。21世紀となった今でも、多くの国が武力によって自国の安全を維持しようとしています。特に近年では、自国ファーストの風潮が高まっていますので、とても示唆に富んだ言葉だと思いました。

この広場では、核兵器の犠牲者を二度と出さないために、核兵器廃絶の署名が集められており、ハンブルク議会へ直接送ることのできる嘆願はがきも配られていました。平和実現のために、私たち市民に何ができるのか、夏が巡り来るたびに考えさせられます。

井野 葉由美(いの はゆみ)
ハンブルグ日本語福音キリスト教会牧師。イエス・キリスト命。ほかに好きなものはオペラ、ダンス、少女漫画。ギャップが激しいかしら?
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