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ベアラオホを摘みながら歴史を感じる散策

春らしい気候となり、家族でベアラオホを摘みに行ってきました。英語ではWild Garlic(野生ニンニク)と呼ばれるこの植物は、直射日光が当たらない森林の木々の下に群生しています。近づくとほんのりとニンニクの匂いがして、食欲がそそられます。香りは違いますが、見た目が似ているスズランやイヌサフランは食中毒を起こす危険があるので、採集には注意が必要ですが、詳しい友人に教えてもらった場所で、袋いっぱいのベアラオホの若葉を集めることができました。

青々としたベアラオホ青々としたベアラオホ

僕たちがベアラオホを採集した近くには、リヒテンベルグ城の遺跡がありました。リヒテンベルク城は12世紀ごろに建設され、ヒルデスハイム教区やゴスラーの街の権力争いの中で中心的な役割を果たしていた場所。その地域から北への貿易ルートが、ここでコントロールされていたのです。

散策していた時は、その物々しいたたずまいに「山賊が住んでいたのかもしれない」なんて想像していましたが、帰って調べてみると城の周辺には荘園が作られ、城は役所と裁判所としての機能を有していたという記述を見つけました。そして1550年頃に城は破壊されて荒廃し、一時期は周辺の村の住民に石切場として利用されていたとのことです。

リヒテンベルグ城の跡地リヒテンベルグ城の跡地

さらに城の周りを歩くと、「私たちはあなたたちを忘れない」という石碑に足が止まりました。1945年、欧州における第二次世界大戦が終結し、多くのドイツ兵や民間人が捕虜にならざるを得ませんでした。リヒテンベルグ城の周辺は、旧ソビエト連邦の占領地となり、後に旧東ドイツの統治下に置かれます。スターリン主義や共産主義による独裁国家の影響を受け、体制にとって好ましくない人物は政治犯として逮捕されて収容所に収監され、シベリアに送られ命を落とした者も少なくはありませんでした。そして1989年の政変まで、囚人の多くは飢えや病気、肉体的・精神的な孤立に苦しめられました。生き残った者たちは、彼らの苦役を悼むための石碑を見晴らしのいい丘に立てることで、人権侵害と歴史の過ちを繰り返さないようにと警告していたのです。

「私たちはあなたたちを忘れない」 という石碑「私たちはあなたたちを忘れない」 という石碑

家に帰り、早速新鮮なベアラオホをナッツやチーズと混ぜてペーストを作りました。人間の歴史のかたわらで、世代を超えて生き続けるベアラオホは格別の味でした。次回はベアラオホをニラの代わりにして、餃子やチヂミを作りたいと思います。次の採集も楽しみです。

国本隆史(くにもと・たかし)
神戸のコミュニティメディアで働いた後、2012年ドイツへ移住。現在ブラウンシュバイクで、ドキュメンタリーを中心に映像制作。作品に「ヒバクシャとボクの旅」「なぜ僕がドイツ語を学ぶのか」など。三児の父。
takashikunimoto.net
 
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