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クララ・シューマン、生誕200年記念プログラム

ライプツィヒに生まれ、天才ピアニスト・作曲家として活躍したクララ・シューマン。ロベルト・シューマンの妻、8人の子どもの母、そして音楽院で教授を務めた教育者として、激動の人生を生き、今年は生誕200年に当たります。それを記念して、彼女に関連するコンサートや演劇、展示、オープンエアーのプログラム170以上が、ライプツィヒとその近郊で行われています。そのうちの1つである演劇「CLARA-bewegt」は、クララが実際によく訪れていたライプツィヒ東部のAbtnaundorfer公園を舞台にして繰り広げられました。彼女が友人とお茶をしていたという民家をスタート地点にして、クララ役の女優に誘導されながら約2時間かけて公園を移動する劇は、天気にも恵まれ、100名以上の観客が集まりました。

スタートはクララがよくお茶をしていた民家スタートはクララがよくお茶をしていた民家

クララは優れたピアノ教師であった父フリードリヒ・ヴィークの指導のもとで、5歳からピアノを弾き始め、わずか9歳でライプツィヒのゲヴァントハウスの演奏会に出演しました。その後にロベルト・シューマンがピアノレッスンを受けるためにヴィーク家に住み込み、交友関係から恋愛関係へと発展しました。そして、父ヴィークに結婚の承諾を求めて猛反対されたことなど、父親役とクララ役の俳優の熱の入った掛け合いが続きます。そこへ馬が登場し、移動式のピアノが現れてオペラ歌手が歌い始めました。父娘の争いは裁判に発展しましたが、そのやり取りには観客も巻き込まれ、「賛成派は右! 反対派は左へ動いて!」と演劇を一緒に作る楽しさが感じられた場面でした。

公園を移動しながら、クララとロベルトが作曲した作品をピアニストが弾くと、彼女の人生も大きく展開していきます。クララは13年の間に10回妊娠し、8人の子どもを産みました。作曲家ロベルトを支える妻、家計を支えるために精力的に演奏活動に勤しむピアニストとして、実に多忙な日々を送ったのです。

長男が1歳で他界した後、ロベルトも46歳という若さで亡くなり、クララは37歳で未亡人に。その後、演奏旅行しながら7人の子どもたちを育てなければなりませんでした。ライプツィヒ、ベルリンをはじめとしてイギリスやロシアへも演奏旅行へ子どもを連れて出かけた様子を、動くピアノとともに観客もその歩みを辿りました。最後には、クララが憩いの場所として佇んでいたであろう池の畔を背景にして、彼女の集大成であるピアノ協奏曲の演奏で締めくくられました。クララが実際に歩いた場所で彼女の人生を辿ることができ、とても印象深いプログラムでした。

動くピアノとともに公園を移動する観客動くピアノとともに公園を移動する観客

そのほかイベント情報:https://clara19.leipzig.de

ミンクス 典子
福岡県出身。日独家族2児の母。「働く環境」を良くする設計を専門とする建築家。2011年に空き家再生社会文化拠点ライプツィヒ「日本の家」立ち上げ、18年まで共同代表。15年より元消防署を活用した複合施設 Ostwache共同代表。
www.djh-leipzig.de
 
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