樽職人が披露するシェフラー・タンツ

1 Februar 2019 Nr.1091 文・写真 Y. Utsumi

今年の1月6日、降りしきる雪と寒さをものともせず、ミュンヘン中心部のマリエン広場に人々が集まってきます。7年に一度披露されるバイエルンの伝統的なダンス「シェフラー・タンツ(Schäfflertanz)」の幕開けを見ようとする観客たちです。

シェフラーとは、樽職人のこと。広場に設けられた仮設舞台に樽製造の工程に携わる職人たちをメインとした20人の踊り手が、鮮やかな赤と白のジャケット、黒の膝丈ズボンに、そして仕事用の前掛けを模した衣装に身を包んで登場します。頭には緑の帽子、手には樽を象徴した半円状のアーチを持っています。バイエルンの民族音楽に乗って、特徴的なステップを踏みながらダンスは進みます。マスゲームのようなダンスの構成はなかなか複雑で、すべてを間違いなく、そろった状態に仕上げるためには数カ月にわたる定期的な練習が必要とのこと。そして、この踊りに欠かせないのが道化役の存在です。時に踊りの傍らで、時には中央で、おどけた仕草をして観客を笑いに誘います。

ミュンヘン市庁舎が500年の歴史を見守る
ミュンヘン市庁舎が500年の歴史を見守る

このダンスの起源は500年前にさかのぼります。ある記録によれば1517年ということですが、確かなところは分からないそうです。当時ミュンヘンではペストが猛威を振るい、一説によると市民の3分の1に相当する多くの死者を出して沈静化したあとも、人々は病気を恐れて家に閉じこもり続けたそうです。通りを行くのは、埋葬人やペスト患者を専門的に治療する医師のみ。ゴーストタウンのような状況だったのでしょう、閉じこもり続ける人たちが餓死する恐れすらあったそうです。そんななか、ある分別のある市民が、不平や苦痛を唱えるだけの状況を変えるために何か気持ちを引き立てることを行おうとします。ほかの人たちを勇気付け、刺激を与えて外に誘い出すために、路上でにぎやかな音楽を演奏しダンスを披露しました。彼は樽職人だったそうで、ここに今日まで続くシェフラー・タンツが始まったのです。この催しは特に19世紀頃からバイエルン各地で盛んに行われています。

樽を象徴する輪やアーチは、ダンスの重要なモチーフ
樽を象徴する輪やアーチは、ダンスの重要なモチーフ

伝統的に踊り手は若く未婚の樽職人とされていましたが、手工業に携わる若者が減少傾向にあるため、現在のミュンヘンでは職業の制限は取り払われていて、銀行員や建物の管理人まで、興味と熱意のある人が参加しているようです。なぜ7年ごとの開催なのかは諸説あるようですが、現在も明らかになっていないようです。ペストの流行頻度であるとか、中世には「7」という数字が魔術的とか幸運とか特別な意味をもったから、はたまた発祥当時にウィルヘルム4世公が7年ごとにダンスの開催を許可したため……など。何はともあれ、このダンスは今年のファッシング(カーニバル)まで、あちこちで開催されます。無名の一市民の勇気とユーモアを讃え、偲ぶ機会になりそうですね。

「シェフラー・タンツ」開催スケジュール(ミュンヘン): www.muenchen.de/veranstaltungen

Yoshie Utsumi
日独の自動車部品会社での営業・マーケティング部門勤務を経て、現在はフリーランスで通訳・市場調査を行う。サイエンスマーケティング修士。夫と猫3匹と暮らし、ヨガを楽しむ。2002年からミュンヘン近郊の小さな町ヴェルトに在住。