中東政変と民衆蜂起
民主化革命の触発とその顛末
英国でも盛んに報道されている、チュニジアとエジプトの相次ぐ政変に触発された民衆蜂起の波及が止まらない。欧米諸国も固唾を呑んで情勢を見守る中、民主化革命に共鳴する反政府抗議デモのうねりは遂に中東・北アフリカ諸国全域を呑み込んだ。
既に政権崩壊した国(2011年2月22日現在)
チュニジア |
2010年12月17日 |
ムハンマド・ブアジジさんによる抗議の焼身自殺(2011年1月4日死亡)を皮切りに、国内各地で大規模デモが発生 |
2011年1月10日 |
ベンアリ大統領が新たな雇用創出や減税などを公約として宣言 |
2011年1月13日 |
ベンアリ大統領が、2014年の次期大統領選には出馬しない旨などを表明 |
2011年1月14日 |
ベンアリ大統領がサウジアラビアに亡命 |
2011年1月15日 |
メバザア下院議長が暫定大統領に就任し、約23年続いたベンアリ政権が崩壊 |
エジプト |
2011年1月18日 |
首都カイロや第2の都市北部アレキサンドリアで抗議の焼身自殺が発生 |
2011年1月25日 |
各地で数千人規模のデモが発生 |
2011年1月29日 |
ムバラク大統領が首相以下の内閣総辞職を表明、スレイマン新副大統領を任命 |
2011年2月1日 |
ムバラク大統領が本年9月の次期大統領選に出馬しない旨を表明 |
2011年2月4日 |
イスラム教の金曜礼拝後に「決別の日」と称する大規模デモが発生。その後、デモの規模が拡大・継続 |
2011年2月10日 |
ムバラク大統領は政治権力をスレイマン副大統領に移譲するとしたものの、任期満了まで大統領職を全うする旨を発表 |
2011年2月11日 |
スレイマン副大統領がムバラク大統領の辞任を表明し、約30年続いたムバラク政権が崩壊 |
リビア北東部のベンガジでデモの集会に参加する人々
反政府抗議デモが発生した国
アルジェリア
2010年12月27日 |
住居不足などを理由とした反政府抗議デモが発生 |
2011年1月15日 |
抗議の焼身自殺が連鎖的に発生(19日までに7人が焼身自殺) |
2011年2月16日 |
ブーテフリカ大統領が約19年にわたる国家非常事態宣言を撤回する旨を発表 |
リビア
2011年1月13日 |
住居不足などを理由とした反政府抗議デモが発生 |
2011年2月16日 |
約41年統治を続ける最高権力者カダフィ大佐に対する大規模なデモが発生 |
ヨルダン
2011年1月14日 |
リファーイ首相の退任を求める反政府抗議デモが発生 |
2011年2月1日 |
アブドッラー国王がリファーイ首相を解任、バヒート新首相を任命 |
イエメン
2011年1月23日 |
首都にあるサナア大学で大規模な反政府抗議デモが発生 |
2011年2月2日 |
サレハ大統領が2013年任期終了で退陣、息子への権力継承も行わない旨を表明 |
2011年2月3日 |
サレハ大統領の即時退陣を求める大規模デモが発生 |
シリア
2011年2月2日 |
アサド政権に対するオンライン上の反政府抗議運動に1万人以上が署名する |
モロッコ
2011年2月10日 |
首都ラバトで雇用確保などを求める千人規模のデモが発生 |
バーレーン
2011年2月14日 |
イスラム教シーア派による権利拡大や民主化を求めるデモが発生 |
イラン
2011年2月14日 |
首都テヘランでアフマディネジャド政権に反発する反政府抗議デモが発生 |
クウェート
2011年1月17日 |
アルサバーハ首長が全国民に対し現金と食料品の支給を決定 |
2011年2月18日 |
無国籍の遊牧民系住民などによる千人規模のデモが発生 |
ジブチ
2011年2月18日 |
ゲレ大統領の辞任を求める数千人規模のデモが発生 |
モーリタニア
2011年1月17日 |
男性1人が政府機関前で焼身自殺 |
2011年1月28日 |
首都のヌアクショットで数百人規模のデモが発生 |
スーダン
2011年1月30日 |
北部各地でバジル大統領退任を求める学生らによるデモが発生 |
サウジアラビア
2011年1月21日 |
男性1人が南西部ナムタで焼身自殺 |
2011年2月17日 |
東部などで少数派のイスラム教シーア派住民によるデモが発生 |
オマーン
2011年2月20日 |
政治改革や賃金引き上げなどを訴える300人規模のデモが発生 |
イラク
2011年2月6日 |
数千人規模のデモが各地で発生。マリキ首相が食料配給の増加を発表 |
民衆の鬱積と中東政変
18日間に及ぶ反政府抗議デモで約30年続いたエジプトのムバラク政権が崩壊した2月11日、キャメロン首相は、エジプトの民主化へ向けた早期政策提起を求めた。新政権発足までの半年間統治を担うエジプト軍最高評議会は、憲法の停止や議会の解散、及び憲法改正の是非を問う国民投票の実施などを公約とし、新体制構築に向けての第一歩を踏み出した。
昨年12月、生活苦を理由としてチュニジア人の若者が図った抗議の焼身自殺に端を発した民衆蜂起は、瞬く間に市民の怒りを吸い上げて拡大し、中東・北アフリカ諸国に飛び火した。チュニジアの「ジャスミン革命」とエジプトの「ホワイト革命」に触発された市民は、インターネットや携帯電話を通じて各地でデモを召集・実行し、これまでの閉塞感や鬱積(うっせき)を一気に爆発させている。
エジプト情勢と欧米諸国の懸念
表面的には民主化を歓迎する欧米諸国だが、エジプト政変は相当程度の誤算であったとの見方が強い。特に米国にとってエジプトは、1978年の「キャンプ・デービッド中東和平合意」以降、中東政策(イスラエルの安全保障確保、石油の安定供給確保、対テロ政策)における重要な同盟国であり、1981年以降続いた親米ムバラク大統領の失脚が中東和平に及ぼす影響などが懸念される。
エジプト軍最高評議会は、これまでの親米路線を崩さない姿勢を示している。しかし、長年君臨し続けた軍事政権体質が瞬時に民主主義へ変革を遂げるとは考えにくく、軍による真の民主化が成し遂げられるのかといった点については疑問視されている。またエジプトの民主化において、中長期的には穏健派イスラム原理主義組織ムスリム同胞団の政治的台頭が予想されることから、いずれはパレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスに対する弾圧政策を緩和する確度が高く、対イスラエル政策の基盤を揺るがすことも考えられる。
異なる国情と不透明な顛末
反政府抗議デモは、今や中東全域に拡大した。長期にわたる独裁、政治の腐敗、失業、生活苦といった同地域に共通する問題点が表面化した半面、湾岸の王国バーレーンでは、少数スンニ派権力に対する多数シーア派市民の反発といったイスラム教宗派間の問題が起爆剤になるなど、性質や要求が異なるデモも発生している。また、離反した軍と親カダフィ派の治安部隊による衝突で、更なる治安の悪化が懸念されるリビアに対し、国連安保理事会が制裁決議を採決するなど、国際社会によるカダフィ大佐の追い込みも始まった。
1989年に東ヨーロッパ諸国で連鎖的に共産主義政権が崩壊した「東欧革命」に見た民主化ドミノが、中東・北アフリカ諸国で実現するか否かは依然として未知数であるが、今般の民衆蜂起は、不安定な民主政権よりも安定した独裁政権を容認してきた国際社会の中東政策における矛盾が露呈したものである。中東石油利権を取り巻くこれまでの構図が限界に達していることが示される中、各国政府 の対応次第で中東情勢が一変しかねず、同全域の不安定化が中東 和平構図の崩壊、及び世界経済の混乱を招く危険性を有することも看過すべきではない。
ムスリム同胞団
スンニ派の穏健派イスラム原理主義組織。1928年、エジプト人ハッサン・アルバンナが、反西洋帝国主義やイスラム復興などを掲げて結成。1987年、パレスチナにおける第一次 インティファーダ(蜂起)の際に派生組織「ハマス」を設立するなど、中東・北アフリカ諸国にお けるスンニ派組織に対して最大の影響力を有する。現在、エジプト国内における事実上の最大 野党(非合法)で、現総指導者兼党首はムハン マド・バディーウ(2010年1月以降)。反イスラエル主義を公言しているが、エジプト政変直後は、イスラエルとの平和条約に関する同胞団の明確な立場についての言及を避けている。
(吉田智賀子)