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Tue, 22 September 2026

英国の住宅事情 カウンシル・フラットの光と影

1960〜80年代に建てられたブルータリズム建築を筆頭に、公営住宅の多くはその建物の無骨さや古さから、かつて低所得者向けの安っぽい住居と思われていたイメージを離れ、今やレトロでおしゃれな存在と一部の人々から認識されている。だが一方で、その背景には建物の老朽化や地域の再開発によって公営住宅が壊されていき、昔からの住人たちがジェントリフィケーションの波を受け行き場を失いつつあるという問題もある。そして2026年の現在、英国はより切実な社会賃貸住宅の不足に直面している。まずは、公営住宅がどのように生まれ、変遷してきたのかを歴史的・文化的な面から振り返りたい。
(文:英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: Municipal Dreams: The Rise and Fall of Council Housing by John Boughton、英国の公営住宅の歴史と政策に関する調査研究報告書 by一般財団法人 住宅改良開発公社ほか

ロンドン西部のタワー・ブロック、トレリック・タワーロンドン西部のタワー・ブロック、トレリック・タワー

カウンシル・フラットとは

カウンシル・フラットは、英国の地方自治体によって建てられた低所得者向け公営住宅で、カウンシル・ハウス、カウンシル・エステートなどとも呼ばれる。割安な家賃で、低所得者のほか、失業者、シングル・マザー、生活保護対象者などが優先的に入居できる仕組みだ。一戸建てから高層のタワー・ブロックまで、時代や地域によりさまざまな種類があり、その多くは1919年の住宅法改正後から1980年代にかけて建設された。以来カウンシル・フラットの建設は大幅に減少しているといわれている。

もともとカウンシル・フラットは、1875年の公衆衛生法で定められた地方都市のスラム解体政策の一部であり、当初の目的は労働者階級の暮らしを向上させ、同時にスラムをなくすことで近隣の土地の価値を上げることだった。その後、第2次世界大戦による住居の破壊、急激なインフレーション、兵士の復員による新婚世帯の増加などが原因で、深刻な住宅不足が起きる。これを受けた政府は1946年、住宅法を制定し公営住宅の建設を積極的に推進。51年までに英国全土で約90万戸のカウンシル・フラットが建設された。やがて1960年代に入ると、再び都市部のスラム解体政策に重点が置かれるほか、核家族化に伴う若年層・高齢者用住宅の建設も開始。住居の大量供給のためカウンシル・フラットの高層化も進んだ。こうして、53年時点の公営住宅におけるタワー・ブロックの割合は2割以下だったのに対し、1961年から66年にかけては約4割と、大幅に増加した。しかし80年代以降、住宅政策は大きく転換し、公営住宅の建設・保有をめぐる自治体の役割も変化していくことになる。

Right to Buyの功罪

マーガレット・サッチャー首相率いる保守党政権が1980年の住宅法によって導入したのが、Right to Buyという制度。公営住宅の住人が、現在居住する物件を市価より安い値段で購入できる権利を与えるもので、この制度によって英国の持ち家率は飛躍的に上昇した。この制度は現在も改定されながら続いているる。現在、一戸建ては3年の居住で35パーセント、フラットは50パーセントの割引から始まり、居住年数に応じて最大70パーセントまで上がる。ただし現在は地域ごとの上限額があり、割引は1万6000~3万8000ポンドまで。ロンドンでは原則1万6000ポンドが上限となる。一方で、入居者に住宅を売却するということは、公営住宅の数が減ることでもある。売却された住宅が、その後も公営住宅として使われ続けるとは限らない。新たに建設される住宅の数が売却数に追いつかなければ、公営住宅のストックは徐々に減っていくことになる。実際、1980年に制度が始まってから2025年3月までに、英国では200万戸を超える社会住宅がRight to Buyによって売却された。2024~25年度だけでも、9000戸を超える社会住宅が売却されている。

ロンドンなどの都市部では、1980年代に買い取られ民営化された元公営住宅が、立地の良さや建築デザインの面白さから高額で売りに出されたり、月数千ポンドで貸し出されたりという事態になり、高額所得者と生活保護受給者が隣同士で暮らすことも珍しくない。戦後、労働者階級のために建てられた公営住宅は、現在大きな過渡期を迎えているといってよいだろう。

新しい波がやってきた?

Right to Buyの仕組みは自治体に大きなひずみをもたらした。新たな公営住宅建設には政府からの資金援助が望めず、借入金にも厳しい制限があることから、自治体は従来とは異なる方法で公営住宅建設の費用を捻出する必要があった。そこで、地方自治体は所管の住宅建設会社を設立。民間の土地開発業者のように、個人向け住宅を建設・販売し、その収入を公営住宅建設費に充てるというスタイルを編み出した。その一例が、ロンドン東部のショーディッチ・パーク近くに立つ2棟の豪華マンションだ。全198戸の最上階には、デービッド・チッパーフィールド卿が設計した195万ポンド(現在の円換算だと約4億725万円)のペントハウスが鎮座する。地元のハックニー・カウンシルが開発し、収益は隣地の公営住宅再建に充てられるのだという。

このような動きはロンドンだけに限らない。すでに英国の地方自治体の3分の1以上が独自の住宅建設会社を設立した。1980年の住宅法によって力を奪われていた地方自治体は、ほぼ40年ぶりに、再び自分たちで公営住宅を建設し始めたところだ。英中部のシェフィールドでも、2029年までに最大1000戸の新たな住宅を供給する計画で、現在建設中のニュー・ステッド地区では77戸をすべて社会賃貸住宅として整備するという。また、これから建てられる公営住宅は、戦後すぐ、粗末な建材で作られたものとは異なり、人にも環境にも優しいパッシブ・ハウス(省エネ・ハウス)であったり、遊び心にあふれたデザインだったりと、これまでの公営住宅のイメージを覆すものになりそうだ。

英国文化とカウンシル・フラット

カウンシル・フラットは、単に家賃の安いフラットが集まっている場所ではない。そこでは多くの人々が暮らし、地域のコミュニティーが生まれ、英国の音楽や映画などの文化にも影響を与えてきた。例えば、英中部マンチェスターのヒューム・クレセンツは、1970年代に建設された巨大な公営住宅だった。設計上の問題や老朽化などから次第に荒廃し、80年代には家賃が徴収されなくなるほどの状況に陥った。しかしその一方で、空いた住宅には学生やアーティスト、ミュージシャンらが集まり、クラブや音楽の拠点も生まれた。荒廃した巨大住宅群が、マンチェスターのカウンター・カルチャーを育てる場所の一つになったのである。

カウンシル・フラットには長く、「犯罪」「貧困」「荒廃」といった負のイメージもつきまとってきた。特に戦後に建てられた高層住宅は、英国映画やテレビの中で、いわゆる「荒れた公営住宅」の象徴として描かれることも少なくなかった。ところが近年、その建築そのものを見直す動きも広がっている。むき出しのコンクリートや大胆な構造を持つ建物は、ブルータリズム建築として再評価され、保存や修復の対象となるものもある。一方で、建築としての評価が高まることが、もともとそこで暮らしてきた人々の生活とは別の文脈で語られてしまうという問題も指摘されている。カウンシル・フラットを見れば、英国の住宅政策だけでなく、そこで暮らしてきた人々の生活や、階級、文化、そして建築に対する社会の価値観の変化まで見えてくる。

英国の住宅問題、いま何が起きてる?

かつては「低所得者のための住宅」として建てられたカウンシル・フラット。だが2026年現在、英国では住宅不足が深刻化し、住む場所を確保できない人々が増えている。社会賃貸住宅の不足に加え、住宅の安全性や老朽化、維持・修繕の問題も浮上。住宅の供給を増やすだけでは解決できない課題が積み重なっている。英国はいま、どのような住宅問題に直面しているのだろうか。

1. 住む家がない

英国ではいま、住宅不足が深刻な社会問題となっている。イングランドでは2025年、社会住宅(social housing)の入居待ち世帯が130万を超えた。一方、住まいを失った人々を受け入れる一時的な居住先(temporary accommodation)で暮らす世帯も増えており、26年3月末時点で13万5580世帯、その中には17万7530人の子どもが含まれている。

こうした状況の背景には、低所得世帯が長期的に住み続けられる社会賃貸住宅(social rent homes)の不足がある。住宅問題を支援する慈善団体シェルターは、イングランドでは今後10年間、年間9万戸の社会賃貸住宅が必要だと試算する。しかし24~25年度に実際に供給されたのは、約1万2000戸にすぎない。1960年代には地方自治体だけで年間平均12万戸を建設していたことを考えると、その落差は大きい。

政府は26年、今後10年間で390億ポンドを投じる「社会・アフォーダブル住宅供給プログラム」(Social and Affordable Homes Programme)を発表し、地方自治体による住宅建設の再活性化にも乗り出した。

「ホームレス」=路上生活、ではない

英国でいう「ホームレス」は、路上で暮らす人だけを指すわけではない。住まいを失い、自治体から一時的な居住先を提供されている世帯も含まれる。ホテルやB&B、民間のフラットなどで暮らしながら、恒久的な住居をの提供を待つ人たちもいる。一時的な居住先に入れず、友人や親族の家を転々とする人なども、広い意味でホームレスに含まれる。

路上のテント2026年8月19日、バーナム首相はクリスマスまでに路上生活者を路上から救うキャンペーンを開始した

2. 「安い家」が足りない

ここで分かりづらいのが、社会住宅にはいくつかの種類があることだ。低所得者が比較的安い家賃で長く暮らせる社会賃貸(social rent)は、政府の算定方式に基づいて家賃が決められる。一方、アフォーダブル・レント(affordable rent)は市場家賃の最大80パーセントまで設定できる。「アフォーダブル=手頃な価格」と呼ばれていても、低所得の家庭にとっては、決して安いとは限らない。つまり、「物件がある」ことと、「無理なく払える価格の住宅がある」ことは別の問題なのである。

しかも社会賃貸の住宅は今も減り続けている。2025年3月末までの1年間で、イングランド全体では約4100戸減少。地方自治体が保有する住宅だけを見ると、約7000戸も減った。その背景の一つが、1980年に導入されたRight to Buyだ。制度によってカウンシル住宅が大量に売却された一方、売却分を補うだけの社会住宅が建設されてこなかったことが、現在の住宅不足につながっている。24~25年度だけでも、Right to Buyなどによって9236戸の社会住宅が売却された。

3. 安全な家が必要

家が見つかれば、それで安心というわけでもない。2017年のグレンフェル・タワー火災は、社会住宅において安全な住環境がいかに重要かを英国社会に突きつけた。その後、社会住宅の安全性や管理に対する規制が強化され、2023年には社会住宅(規制)法(Social Housing (Regulation) Act)が成立した。

さらに2025年10月には、深刻なカビや湿気への対応を強化する「アワーブの法」(Awaab's Law)が施行された。これは、英中部マンチェスターで、公営住宅のカビによる呼吸器疾患で、20年に2歳で亡くなったアワーブ・イシャク(Awaab Ishak)君の名を冠したものだ。

グレンフェル・タワー火災とは

2017年6月14日未明、ロンドン西部の高層住宅グレンフェル・タワーで火災が発生し、72人が死亡した。グレンフェル・タワーは、低所得者向けの社会住宅として1972~74年にかけて建設されたカウンシル・フラットである。火は一室から建物の外壁へ燃え広がり、わずか数時間のうちにほぼ建物全体を覆った。その後の調査では、外壁の改修に使われた建材や防火対策だけでなく、建築規制、建物の管理、行政の対応など、さまざまな問題が明らかになった。

メモリアルのシートが張られたグレンフェル・タワーメモリアルのシートが張られたグレンフェル・タワー

4. 住宅問題は政治問題

住宅を巡る問題が広がれば、政治も無関係ではいられない。その象徴ともいえるのが、バーナム首相が打ち出した大規模な住宅建設計画だ。政府は26年8月、今後10年間で390億ポンドを投じる住宅供給計画を発表。最初の約96億ポンドを33の自治体や住宅協会などに配分し、7万戸を超える住宅の建設を進める。供給される住宅の約60パーセントは社会賃貸となる見込みだ。「全ては良い住まいから始まる」と語るバーナム首相は、自治体によるカウンシル住宅建設を再び増やそうとしている。ただ、第1弾では約40パーセントが社会賃貸以外の住宅にも充てられることになり、深刻な社会住宅不足に対して、これで十分なのかという疑問も出ている。

一方、住宅不足は移民や難民を巡る政治的対立とも結びついている。亡命申請者の受け入れにホテルなどが使われてきたことから、「移民に住宅を奪われている」といった主張も広がった。しかし、英国の住宅不足は移民だけが原因ではなく、社会住宅の不足や住宅建設の停滞が長年積み重なった結果でもある。

建築から見るカウンシル・フラット

ロンドンの公営住宅は、時代ごとの住宅事情や政策、都市計画を反映しながら、さまざまな姿で建てられてきた。戦前の集合住宅から、戦後の庭付き住宅、1960~70年代に数多く登場した高層のタワー・ブロックまで、住宅政策の変化を映し出す8棟を紹介しよう。

1 世界一古いカウンシル・フラット BOUNDARY ESTATE
バウンダリー・エステート

BOUNDARY ESTATEかつての悪名高いスラムが落ち着いたエリアに

ロンドン東部ショーディッチ・ハイ・ストリートとベスナル・グリーン・ロードの間にある公営住宅。緑の美しい円形公園アーノルド・サーカスの周りに配置された、ヴィクトリア朝の赤レンガ造りの建物で、1890年、悪名高いスラム、オールド・ニコルの跡地に建設された。当時盛んだったアーツ&クラフト運動の影響を受けており、ロンドンで最初の、そしておそらく世界で最初のカウンシル・フラットといわれている。

Calvert Avenue, London E2
Shoreditch High Street駅

2 灰色の美、タワー・ブロック BALFRON TOWER
バルフロン・タワー

BALFRON TOWERインパクト大の無機質なフォルム

1960年半ば、ハンガリー出身の建築家エルノ・ゴールドフィンガーによってデザインされた、26階建てのタワー・ブロック。余計な装飾を排した打放しのコンクリートと直線が強調されたブルータリズム建築は、伝統的な建築物が多く残る当時のロンドンにあって、いかに挑戦的なデザインだったか想像できる。同じくゴールドフィンガーがロンドン西部に建築したトレリック・タワーも、同様の構造を持つ。

St. Leonards Road, London E14
All Saints DLR/ Langdon Park DLR駅
https://balfrontower.co.uk

3 ブルータリズム低層住宅の見本 ALEXANDRA ROAD ESTATE
アレクサンドラ・ロード・エステート

ALEXANDRA ROAD ESTATEまるで一つの町のような迫力の520戸

第二次世界大戦後の英国で活躍し、集合住宅のパイオニアと呼ばれる米国人建築家、ニーヴ・ブラウンによる迫力満点の低層住宅。1978年に完成し、その後、重要建築物として1993年にGradeII指定を受けた。520戸の住宅のほか、学校やコミュニティー・センターを併設し、屋根部分は緑いっぱいの公園になっている。印象的な外観から多くの映画作品のロケ地ともなっており、2014年の英米合作映画「キングスマン」では、主人公エグジーの実家として登場した。

Rowley Way, London NW8
South Hampstead駅
https://alexandraandainsworth.org

4 モダニズムの極致 BEVIN COURT
べヴィン・コート

BEVIN COURTの階段鮮やかな赤は、1954年のオリジナル・カラーを2014年に復元したもの

ロシアから亡命し英国で活躍した建築家バーソルド・リュベトキンが、戦後間もなく手掛けたモダニスト建築。従来の公営住宅のイメージを打ち破るモダンなデザインでありながら、景観を壊さず周囲との調和を図るのがリュベトキン・スタイル。かつて亡命中のレーニンが滞在していたことから、敬意を表し「レーニン・コート」と名付ける計画があったものの、戦後英露の関係が悪化し、反共産主義の英外相アーネスト・べヴィンの名が冠された。

Cruikshank Street, London WC1X
Angel / King's Cross St.Pancras駅
https://historicengland.org.uk/listing/the-list/list-entry/1246687

5 眺望を第一に作られた住まい DAWSON'S HEIGHTS
ドーソンズ・ハイツ

DAWSON'S HEIGHTS近隣の住民からは「戦艦」と呼ばれる公営住宅

古代メソポタミアの神殿やピラミッド、または要塞に例えられることの多い1964~72年建設の公営住宅。12階建ての2棟から成り、鉄道建設時に除去された捨石の集積された小高い丘の上に建てられている。298戸のうち3分の2からは、南北両方向のパノラマ・ビューが楽しめる。ロンドン南部ランべスのリーガム・コート・ロード建築などで知られるスコットランドのデザイナー、ケイト・マッキントッシュが手掛けた。

Overhill Road, London SE22
ナショナル・レールForest Hill駅
https://trodgersjohns.wixsite.com/dawsonheightsproject

6 イアン・フレミングに嫌われた建物 TRELLICK TOWER
トレリック・タワー

TRELLICK TOWERノッティング・ヒル・ゲートに近く立地もよい

ジェームズ・ボンドの生みの親として知られる作家、イアン・フレミングは、建築家エルノ・ゴールドフィンガーのタワー・ブロックが気に入らず、ボンドの敵役をゴールドフィンガーと名付けた、とする説もあるが、その確かな証拠はない。地上31階建て、高さ98メートルのトレリック・タワーは、共産圏の建築を思わせる無機質さと威圧感を持ち合わせ、バランスの悪い渡り廊下もインパクト大。今や近隣のランドマーク的存在で、観光客が訪れるほどだ。

Golborne Road, London W10
Westbourne Park駅
https://historicengland.org.uk/listing/the-list/list-entry/1246688

7 建設時はトラブル続き BRUNSWICK CENTRE
ブランズウィック・センター

BRUNSWICK CENTRE外観はクリーム色に塗られるはずが、自治体の資金不足で図らずもブルータリズム風になったという逸話も

ロンドン中心部、ラッセル・スクエア駅前のショッピング・センターに隣接する低層住宅。大規模な集合住宅としてユーストン・ロードまで延びる予定だったが、国防省が関連施設の移動を拒んだことから土地を買収できず、こぢんまりしたものに。1972年に完成し、当初は公営ではなく一般向けテラス・ハウスとして販売されたが、入居者が集まらず公営住宅用に払い下げられた。デザインはパトリック・ホジキンソン。

Marchmont Street, London WC1N
Russell Square駅
https://brunswick.co.uk

8 住人からも愛される集合住宅 DUNBOYNE ROAD ESTATE
ダンボイン・ロード・エステート

DUNBOYNE ROAD ESTATE向かい合わせの長屋のようなスタイル

アレクサンドラ・ロード・エステートの設計で知られるニーヴ・ブラウンが手掛けた、公営としては初の低層集合住宅で、1967年に完成。住宅71戸にスタジオとショップが付き、各戸には共同のガーデンを見下ろす大きなテラスがある。プライバシーと公共性のバランスが程よく、同時代の建築家が目指した高層の住宅とは真逆のデザイン性を持つと評価されており、住人からの人気も高いという。重要建築物としてGradeII指定を受けた。

Dunboyne Road, London NW3
Gospel Oak/Belsize Park駅

BRUTALISM ブルータリズム

1950年代~60年代に見られた建築様式。打放しコンクリートなどを用いた荒々しい仕上げが特徴で、直線の強調された力強いデザインが多い。英都市計画家のアリソン&ピーター・スミッソンによって名付けられた。

 

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*本文および情報欄の情報は、掲載当時の情報です。

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