悲劇は繰り返してしまうのか
北アイルランド紛争の爪痕
1960年代後半から約30年間で3500人余りの犠牲者を出した北アイルランド紛争は、今年に入って、即位60年を迎えたエリザベス女王が元IRA司令官と歴史的な握手を交わすなどしたことで真の終焉を迎えたようにみえた。しかし最近になって、ベルファストで毎年開催されるパレードを巡り、カトリック系住民とプロテスタント系住民の間での緊張が高まっている。
北アイルランド・アイルランド共和国マップ
北アイルランドの分裂
カトリック系 | 宗派 |
プロテスタント系 |
---|---|---|
ナショナリスト / リパブリカン運動 |
思想 |
ユニオニスト / ロイヤリスト運動 |
英国からの分離独立、 共和主義を掲げる |
特徴 |
英国との連合、英国人としての アイデンティティーを重視 |
シン・フェイン党 | 政党 |
民主統一党(DUP) |
社会民主労働党(SDLP) | アルスター統一党(UUP) | |
アイルランド共和軍暫定派 (IRA) | 民兵組織 |
アルスター防衛協会(UDA) |
北アイルランド紛争をめぐる主要な出来事
1916年 | 1914年に英国から認められたアイルランド自治法の施行が、第一次大戦によって凍結されたことに対する「イースター蜂起」が発生。 |
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1918年 | アイルランド総選挙でシン・フェイン党が勝利。 |
1919年 | シン・フェイン党がアイルランド共和国独立を宣言し、アイルランド独立戦争が勃発。 |
1920年 | 「アイルランド統治法」成立でアイルランドが南北に分割。 |
1921年 | 英国とアイルランド共和国暫定政府の間で「英愛条約」が締結され、アイルランド独立戦争が休戦。南部26州(南アイルランド)は英国王を元首とする「アイルランド自由国」として分離。一方、残り北部6州(北アイルランド)は英国の統治下にとどまる。 |
1922年 | アイルランド内戦が勃発。 |
1938年 | 英連邦内の共和国として、英国がアイルランド自由国の独立を承認。 |
1949年 | アイルランド自由国が英連邦を離脱。完全な共和制「アイルランド共和国」に移行。 |
1966年 | IRAの対抗民兵組織「アルスター義勇軍」がカトリック住民に対するテロ行為を開始。 |
1972年 | 1月に英陸軍によるデモ隊銃撃事件「血の日曜日事件」、7月にIRAによる爆弾事件「血の金曜日事件」が発生。北アイルランド地方議会及び行政府が廃止され、事実上、英国政府の直接統治下に置かれることに。 |
1974年 | 北アイルランドのプロテスタント系及びカトリック系住民に対する宥和政策を盛り込んだ白書「サニングデール協定」が締結(後に崩壊)。 |
1985年 | 英・愛両政府が「英国・アイルランド協定」に調印。北アイルランド問題の解決に向けた政府間の対話の仕組みが形成される。 |
1993年 | 英・愛両政府が政治的な和解を目標とした「ダウニング街共同宣言」を発表。 |
1994年 | IRAが無期限停戦宣言を発表。 |
1995年 | 英・愛両政府が「新たな枠組み文書」を発表。また準軍事組織の武装問題解決に向けた「国際武装解除委員会」が設立。 |
1998年 | 英・愛・北アイルランド諸政党間において、包括的な和平合意となる「ベルファスト合意(聖金曜日協定)」が成立。アイルランド共和国は、国民投票により北アイルランド6州の領有権を放棄。 |
2005年 | IRAが武力闘争の終結を発表。 |
2006年 | 連立政権の権限配分、司法、治安維持に関する問題の進展に向けた「セント・アンドルーズ協定」が成立。 |
2007年 | 武装組織UDAが武装解除。 |
2011年 | 英エリザベス女王がアイルランド共和国を公式訪問。 |
2012年 | 英エリザベス女王が元IRA司令官と歴史的な握手を交わす。 |
反カトリックの歌が引き金に?
今月2日から3夜連続で北アイルランドのベルファストで暴動が発生し、暴徒化した若者たちが警察と衝突した。警察官に対する暴行などの罪で逮捕された若者の中には15歳から19歳の青年4人などが含まれていた。警察当局は、今回の暴動の発端は主にロイヤリストがソーシャル・ネットワーク・サービスの「フェイスブック」を通じて呼び掛けた計画にあると報告した。
これに先立ち、7月12日、プロテスタント系団体「オレンジ・オーダー」主催の年次行事パレードに参加したバンドが、カトリック系セント・パトリック教会の前を通り過ぎる際、反カトリックとされる「Famine Song」を演奏したことが発覚。パレード委員会などは同行為を「挑発的」「不適切」と非難した一方、オレンジ・オーダー関係者は「軽率で無知」としつつも、計画的な行為ではなく「教会の中には誰もいないのだから、挑発したことにはならない」と反論した。その後、8月25日に開催されたプロテスタント系団体主催のパレードでは、当局の参加禁止令を無視した同バンドなどが再び同教会周辺で演奏を行ったことを受け、同日夜に暴動が発生している。
アルスター誓約100周年パレードに警戒
一連の事件について、北アイルランド自治政府のカトリック系シン・フェイン党所属のマクギネス第一副首相は「偏見と派閥主義の露呈」であり、「紛争の種を撒いている」と強く批判。一方、事件後の公式声明発表が遅れて非難されていたプロテスタント系民主統一党(DUP)党首のロビンソン第一首相は、「唯一の問題解決は相互尊重にある」とし、地元議員らと会合などを通じて今後の対策を取っていくと述べるにとどまった。なお今月29日には、英政府のアイルランド自治政府法案に反対したロイヤリストらが血の証印をしたとされる「アルスター誓約」の100周年記念パレードが開催予定であることから、新たな衝突を警戒する声が高まっている。
北アイルランド紛争とその爪痕
1998年に和平合意に至った北アイルランド紛争は、アイルランド共和軍暫定派(IRA)などのカトリック勢力とアルスター防衛協会(UDA)などのプロテスタント勢力によるキリスト教宗派間の武力闘争であった。また英国からの分離独立とアイルランド島全県統一を目指すナショナリスト・リパブリカン運動と、英国との連合を保ち英国人としてのアイデンティティーを重視するユニオニスト・ロイヤリスト運動がぶつかり合う、政治と領有権、そしてナショナリズムが複雑に絡み合った紛争でもあった。そして同紛争は国内で「The Troubles」と呼ばれるほど、非常に頭の痛い問題として英政府を長年悩ませた。
今年6月、即位60周年記念行事の一環として北アイルランドを訪問したエリザベス女王は、元IRA司令官のマクギネス第一副首相と初めて会談し、歴史的な握手を交わしたことでメディアを賑わせた。しかし一方で、女王の訪問に反対したカトリック系デモ隊が、警察やプロテスタント系住民と衝突する事件が発生するなど、1960年代以降テロや暴力が相次いだ同紛争は、依然として人々の記憶に焼きついているという現実をも合わせて見せつけてもいる。
Famine Song
2008年、スコットランドにおけるサッカーの強豪、グラスゴー・レンジャーズFCのサポーターが、北アイルランドのベルファスト・セルティックのサポーターなどに対して、「飢餓は終わった、なぜ故郷に帰らないのか?」との歌詞をつけた歌。1840年代にアイルランドで発生した飢餓で、多くのアイルランド人が移住を強いられた歴史に言及している。サッカーにおいてはレンジャーズ=プロテスタント、セルティック=カトリックという形での派閥主義が存在。悪質で人種差別的であり、治安妨害を引き起こすとしてスコットランドではこの替え歌を歌うことは禁止されている。(吉田智賀子)
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