キャメロン首相とクレッグ副首相
新しい首相にキャメロン保守党党首、 副首相にクレッグ自由民主党党首が就いた。2人とも43歳。若いなあ、という嘆息が出る。ただ、チャーチルのような老ろうかい獪さは望むべくもないが、サッチャーやブレアと比べても、政治哲学や理想を語る部分があまりに少ない。40歳台後半以降の読者諸兄姉は、自分が43歳のときに何が解っていただろうかと自問されているのではないか。筆者だけかもしれないが、僭越ながら二人とも、まだ世の中を知らないというか、幼い印象を受ける。不誠実ではないのだが、特にキャメロンは自分の言葉で語っていないように感じる。
サッチャー、ブレアは自分の言葉で、英国病の克服のための自由主義、または自由主義の行き過ぎへの反省としての第三の道や金融財政改革を熱く語っていた。いずれの政策も、英国の政治経済状況に対する明確な哲学と処方箋に裏付けられており、経済・社会学者の思想的バック・グラウンドがあった。サッチャーの場合はシカゴ学派、ブレアの場合はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのギデンズ教授である。
ただこうした経済・社会学者たちが、サッチャー、ブレア政治を総括して次の哲学を語っていないので、キャメロン、クレッグらに自分で考えろというのも気の毒かもしれない。だが、全体哲学を持たない自民党の主張は野党の議論であって、与党のそれではない。もちろん彼らだけが政権を動かすわけではないが、重要な決定はやはり彼らによる最後の判断がものを言う。日本の鳩山総理の言葉や存在感の軽さはあきれる程だが、リーダーに想力、言語力、決断力がなければ国は迷走し、国民は大きな迷惑を被る。彼らの誠実さには、痛々しささえ感じる。老獪な市場は、当面ポンドを売るだろう。
サッチャー、ブレア総括の鍵
保守党と自民党の差異は財政政策とEU政策の不一致において顕著に見られると言われるが、経済に対する深い歴史的理解と認識なくしての政治は不可能で、政権を取るために足して二で割るような調整は政治家がすることではない。サッチャーの光は、労働組合に対する強硬姿勢により怠惰と賃金インフレを退治したこと、また公共支出削減により財政赤字を減らしたことである。影は、貧富の差の拡大と、英国に外国投資(特に金融機関)を呼ぶためのポンド下落(即ちユーロ非加盟)、つまりは英国国有財産の売却である。北海油田の採掘とこれらの政策によって、英国には財政余力と自国の金融政策が残り、またベルリンの壁崩壊によるグローバリゼーションは、金融業をロンドンに集中させて英国に経済的な成功をもたらした。
サッチャー政権の影である格差を是正し、イングランド銀行の金融政策を政府から独立させる代償として、金融監督業務を金融庁(FSA)の管轄へと分離するというブレア政策は、こうした背景があって成功した。しかし、世の中、何でもいいことばかりというわけにはいかなく、一つのことには必ず光と影がある。格差是正は再度非効率を生んでおり、財政も悪化した。イングランド銀行は統計と金融市場でしか金融機関をチェックしておらず、金融庁は金融機関の重箱の隅をつついていただけで、結局誰もバブルのリスクをコントロールできなかった。その結果が2008年に国有化されたノーザン・ロックであり、バブル崩壊である。
検証と哲学なき公約修正
保守党は、FSAを廃止してイングランド銀行と統合するという公約を、自民党と妥協して修正、FSAの機能の一部のみを移す模様だ。何が失敗だったのか、責任も含めて明確な検証をしない態度は、言葉の軽さの裏返しであろう。英国の金融ビジネスはそう簡単にはなくならないが、世界が競争を繰り広げる中、決して楽観できまい。
その上で金融の復活を待つ間をどうつなぐか。英国には、もう売るものはない。北海油田は枯れそうだ。サッチャー、ブレアで潤った国民から金を取る、即ち財政抑制が基本になるが、国民の危機感が70年代程強くない現状で、2人が自分の言葉で語れるだろうか。運が良ければ金融業復活によって国民負担を持ち出さなくとも済むが、欧米ではバブルの傷がまだまだ癒えない。ギリシャの財政危機がスペインに飛び火して欧州全体が動揺したときのショック療法として、ポンド防衛のための財政赤字削減案を閣僚たちは考えているかもしれない。いずれにせよ、若い2人は自分の哲学を身に付けないと、老獪な市場に翻弄されることになる。
(2010年5月12日脱稿)
< 前 | 次 > |
---|