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Fri, 20 December 2024

第11回 「正義」と「独善」の聖火リレー。

4月6日の日曜日。朝8時ごろに起きると、雪が激しく降っていた。家の前の道路も裏手のテニスコートも、真っ白である。湿って重い、いかにも春らしい雪が、後から後から降ってくる。

北京五輪の聖火リレーは、そんな雪の中で始まり、異様な雰囲気の中で続けられた。。

沿道の至るところに、チベット旗が翻り、「中国はチベットから出て行け」「チベットに自由を」といったプラカードが並ぶ。ランナーに向かって、同じようなスローガンが浴びせられた。聖火を奪い取ろうとした人がいたし、自転車ごと聖火ランナーに体当たりを試みた人もいた。チベット旗を手に乱入を試みた人がいて、消火器で聖火を消そうとした人も現れた。

妨害を封じ込めようと、ロンドン警視庁の警察官と水色のスポーツウエアを着た中国人警備員が、ランナーを幾重にも取り囲む。後で空撮の写真で人数を数えたら、双方合わせて41人もいた。場所によっては、もっと多かったに違いない。

もう、聖火リレーと呼べる代物ではなかった。「まるで障害物競走」と書いた新聞があったが、翌日のパリでは、混乱はさらに拡大。車いすのランナーも襲われ、リレーはとうとう中止になった。

チベットに対する中国の強圧姿勢は、実にひどい。批判は当然だと思う。しかし、リレーの混乱を見ながら、私は別のことを考えていた。

サッカーのスペイン・FCバルセロナ所属のディフェンダーに、リリアン・チュラムという選手がいる。フランス代表として、1998年のワールドカップ・フランス大会に出場し、ジダン選手らとともに、フランス優勝に大きく貢献した。現在もフランス代表として、最多出場試合数を更新中である。

チュラム選手は、カリブ海のグアドループ諸島の出身だ。ここは、かつて仏の植民地であり、現在は仏の海外県という位置付けだ。

黒人のチュラム選手は、人種差別や人権問題に関する積極的な発言で知られる。数年前、パリ郊外で移民の暴動が起きた際は、虐げられる移民の側に立ち、サルコジ内務相(現大統領)に格差是正などの申し入れも行った。「サッカー界の哲人」「賢人」とも呼ばれ、以前、私がインタビューした際も、こんなことを話していた。

「1789年にフランスの人権宣言があったのは、知ってるよね? 人間すべて、法の下に自由と平等である、と。その年、僕の故郷には奴隷制度が厳然と続いていたんだ」

1931年には、仏のアルジェリア支配120年を記念し、パリで植民地万博が開かれた。

「そこでは、僕ら黒人が『展示』されたんだぜ。当時はもう、人権や自由が当たり前のこととして、西欧社会で語られていたのに。ほんの80年足らず前の話さ。第二次世界大戦後の1948年には国連で世界人権宣言が採択されたけど、(英系白人などが支配層だった)南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)はその年に法制化されたんだよ。それに当時、英や仏は世界中に多くの植民地を抱えていた。この意味が分かるかい? 僕の言いたいことが分かるかい?」

言っていることと、実際にやっていること。その落差を、いわゆる先進国の人たちは、どれほど認識しているのか、と。ほかにも数多くの例を出しながら、チュラム選手は、それをこんこんと語り続けた。

世界人権宣言が採択された1948年は、ロンドン五輪が開催された年でもある。ナチス・ドイツのヒトラーが1936年のベルリン五輪で採用した聖火リレーは、このロンドン五輪が2度目だった。そして2012年、五輪は再び、ロンドンにやってくる。

五輪の注目度や位置付けも違うから、前回のロンドン五輪では、例えば植民地の人々が聖火を妨害することはなかった。しかし、仮に2012年にも世界を巡る聖火リレーがあったとして、行く先々で、例えばイラク戦争の責任を問う人々が、プラカードだけに飽きたらず実力で聖火を妨害したら、英国はどんな反応を示すだろうか。今回のロンドンでの妨害に比較的好意を見せた多くの英紙は、どう伝えるだろうか。

「正義」と「独善」は、いつの時代も紙一重である。

 

高田 昌幸:北海道新聞ロンドン駐在記者。1960年、高知県生まれ。86年、北海道新聞入社。2004年、北海道警察の裏金問題を追及した報道の取材班代表として、新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞を受賞。
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