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Fri, 20 December 2024

第28回 時には、8月を抱きしめたい。

8月が終わり、早くも9月になった。とっくに秋を迎えていた英国も、これで名実とも秋である。過ぎ去った8月、読者のみなさんはどんな日々を過ごしていただろうか。

この夏、わが家に高校1年生のお嬢さんが2人、日本からやってきた。娘の友人たちで、最初の1週間はブライトンの語学学校に通い、残りの1週間はロンドン観光を、という予定である。

彼女たちがブライトンに出かける日のことだ。

集合場所まで送っていこうと、駅まで行ったところ、1人が「相部屋だったら嫌だな」と言い出した。語学学校には欧州の非英語圏や中東などから、同年代の子供たちが集まってくる。週単位で寝食を共にしながら、英会話やスポーツを楽しむ試みだ。その宿舎で、外国人と一緒になるのが嫌なのだという。

気後れしているのだ。英国暮らしを経験済みの娘はともかく、日本に長く住み、外国もほとんど未経験の身からすれば、多少の気後れは当然だと思う。

彼女たちを見送った後、私は自分の高校1年生の夏休みを思い出した。

音速旅客機コンコルドが乗客を乗せて英仏間を初飛行し、日本では田中角栄首相がロッキード事件で逮捕され、ピンク・レディーの「ペッパー警部」が大ヒットした。「リゾート」という言葉など生まれてもいない。そんな年の8月である。

高知に住んでいた私は、一番仲の良かった友人と、鳥取砂丘に行くことにした。「砂丘に行き、砂漠のような砂の上で、満天の星を見よう」。そんなことを話し合っていた。

高校生とはいえ、子ども同士で泊まりがけの遠出など初めてだ。しかも、お互い、高知をほとんど出たことがない。

道程の大半は列車だった。

朝、高知を出発し、四国山地の下のトンネルを数え切れないほど抜けて、高松へ。そこから国鉄の連絡船で瀬戸内海を渡り、今度は岡山から中国山地越えである。

2人は永遠に続くかと思うほど話を続け、列車を何度も乗り換え、夕方、鳥取駅に着いた。ホームの反対側では「大山」という名の急行列車が発車するところだった。停車駅を案内する駅のアナウンスが「停まります駅は……伯耆大山、終点は米子」と続く。馴染みのない駅名の連続に、私はたまらないほどの異国情緒を感じた。

それから路線バスに乗った。教えられたバス停で降り、低灌木と砂地が交互する場所を歩き、砂の山をいくつか越え、砂丘の中心部らしき場所にたどり着く。ところが、砂丘の夜は想像と大いに違っていた。漆黒の闇どころか、薄曇りの空に市街地の光が反射し、相当に明るい。それに加えて、ブヨと蚊の大襲来である。寝袋に入っても、わずかに出た顔を目指し、大襲来は続く。砂は昼間の熱をたっぷり含んで、いつまでも熱く、寝袋の2人は汗びっしょりだ。とても眠るどころではない。砂丘と砂漠は違うのだ。

「サバクが最高だって……これがサバクかよ」「鳥取って言い出したのはお前じゃろ」

そんなことを言い合い、不機嫌な2人はサバクを這い出た。夜遅くに、どうやって鳥取駅に戻ったか、その記憶はない。駅の待合室で少し寝て、夜行列車に乗り、今度は島根県の出雲大社へ行くことにした。

途中、列車は、あの「伯耆大山駅」に停車した。まどろみから覚めると、朝焼けの逆光の中、蛍光灯が駅名表示板を照らしている。その文字の前を下車した人々が行く。大山登山のためのリュックを背負った姿が、まるで影絵のようだった。

ブライトンから戻ったお嬢さんたちは「ちょー、楽しかったぁ。1週間じゃ足りないよお」と大騒ぎだった。彼女たちは実際、残りの日々も何日かはロンドン観光をやめ、日帰りでブライトンに通った。学校によると、「こんな生徒さんは初めて」だったそうだ。

鳥取砂丘と英国。それを比べると、やはり子どもたちがうらやましい。でも、たとえ舞台が違っても、変わらぬことはある。8月の思い出は将来、じっと抱きしめたくなる時があるはずだ。彼女たちにも、もちろん、あなたにも。

 

高田 昌幸:北海道新聞ロンドン駐在記者。1960年、高知県生まれ。86年、北海道新聞入社。2004年、北海道警察の裏金問題を追及した報道の取材班代表として、新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞を受賞。
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