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Fri, 20 December 2024

第37回 運命が引き起こす奇跡。

ロンドン在住の作家・黒木亮さん(51)は、大手邦銀をはじめ総合商社や証券会社などで国際プロジェクト金融を手掛け、アフリカから中東、アジアなどを縦横に駆け巡った経験を持つ。それに裏打ちされた「巨大投資銀行」「エネルギー」といった作品は、多くの読者を魅了してきた。

黒木さんの仕事場は、ロンドン北部にある。作家らしく部屋は資料や本であふれ、訪れた人は、どこに腰を下ろそうかと迷うに違いない。

私と同世代の方は、マラソンの瀬古利彦選手を覚えていると思う。早稲田大学在学中に華々しくデビューし、五輪にも2度出場した。その瀬古選手と同じ時期に、早大競走部に在籍したのが、金山雅之選手(黒木さんの本名)である。

金山選手は箱根駅伝も走った。「花の2区」を走った瀬古選手からタスキを受け取って3区を走り、4区へタスキを引き継ぐ。翌年は8区を走った。エンジ色のランニング・シャツに、白字で大きな「W」。それが、若き日の黒木さんだった。

最新刊の自伝小説「冬の喝采」は、そんなランナー・金山の物語だ。北海道の田舎町で本格的に走り始めた高校時代から早大時代まで、金山選手は来る日も来る日も走る。ケガで走れなくても、頭の中にあるのは、走ることだけである。単調でもあるけれど、その凡庸たる日々を積み重ねた者だけが非凡さを獲得し、道を切り開くのだ、と痛感する。

金山選手が実の両親と信じて疑わなかった父母は、実は養父母だった。彼はそれを、早大入学時に知る。生後7カ月のとき、養子に出されたのだという。

北海道から上京してきた養父に真実を聞かされた金山選手は、少し外出し、気分を鎮めてアパートに戻った。すると、養父はシュークリームの箱を差し出す。それを見た金山選手は箱を部屋の隅に叩きつけた。

自分はこれからも何も変わらないと思っているのに、父が媚びようとする。それに腹が立った。自分が前向きになっているのに、父さん、あなたが変わってどうするのだ?

やがて、金山選手は48歳の父に向かって言った。

「これからも僕の親は、父さんと母さんだけだから……よろしくお願いします」

大学卒業後、大手邦銀に入った金山さんは1988年、ロンドン支店に赴任した。そして戸籍を手掛かりに、北海道岩見沢市に住んでいた実の両親に、初めて手紙を書く。すると、すぐに母から返事が届いた。封を開けると、何枚もの写真が入っている。一番大きな写真は、昭和20年代の箱根駅伝の写真だった。「M」の文字の入ったランニング・シャツを着た若者が、懸命に走っている。

それこそが、金山選手の父の、若き日の姿だった。金山選手の父も、箱根駅伝の選手だったのである。

明治大学の選手として、父は4年間に4度出場した。金山選手が走った3区と8区は、父も走っている。しかも大学4年のときは、2人とも8区を走り、ともに区間6位・チーム3位だったというのだ。そこを読んだ瞬間、私は震えた。

それからしばらく過ぎた1996年。英国の永住権を取った金山さんは久々に郷里、北海道を訪れた。そして、初めて両親に会いに行く。迷った末、駅から電話。やがて、69歳になっていた実父が車で迎えに来た。母はちょうど外出しているという。

自宅に着いた2人は、あぐらをかいて向かい合った。互いに話題を探しながら、たんたんと話を繋ぐ。生後7カ月で別れた父子に親子の歴史はなく、陸上競技だけが共通の話題だった。そこへ電話が鳴る。立ち上がった実父は、急に大声になり、電話の向こうの母に言った。

「今、雅之がきてるんだわ!早くタクシーに乗って帰って来い!」

「冬の喝采」は、その場面で終わる。息子を手放すとき、布団をかぶり、声を押し殺して泣き続けたという母とは、その後、どんな話をしたのだろう。

「運命が引き起こす奇跡と、努力は無限の力を生み出すこと。その2つを書きたかった」と言う黒木さんは、母とのその後を尋ねる私のメールに、丁寧な返事をくれた。小説には出てこない、その場面を読みながら、不覚にも私は再び泣いた。

 

高田 昌幸:北海道新聞ロンドン駐在記者。1960年、高知県生まれ。86年、北海道新聞入社。2004年、北海道警察の裏金問題を追及した報道の取材班代表として、新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞を受賞。
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