動物・植物・鉱物を愛するデービッド・アッテンボローってどんな人
2013年のBBCドキュメンタリー「Natural Curiosities」のデービッド・アッテンボロー
デービッド・アッテンボロー(David Attenborough)は、自然学者、動物学者、著述家、放送作家として70年以上にわたり精力的に活動している。自身のドキュメンタリー番組で、ジャングルや氷山など地球のあらゆる場所から、熱心かつユーモラスに語りかけてくる様子は、多くの人にとっておなじみの姿だろう。アッテンボローは今年98歳を迎えるが、野生動物や自然に対する深い愛情は今も変わらない。今回の特集では、自身の情熱と知識を惜しみなく広く世界に伝え、数世代にわたって多くの人々に感動と驚きを提供し続けている、アッテンボローの人となりに迫る。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)
参考: www.bbc.co.uk、kids.guinnessworldrecords.comほか
デービッド・アッテンボロー1950年代から一貫して自然ドキュメンタリーの制作にかかわり、自然ドキュメンタリーというジャンルを確立した自然学者・放送作家。制作だけではなく出演、ナレーションも行いお茶の間からの認知度も高い。環境問題に熱心に取り組み、アッテンボローの番組を観てプラスチックのリサイクルを始めた視聴者が続出した際は、「アッテンボロー・エフェクト」(アッテンボロー効果)といわれた。2024年5月で98歳を迎えるが、現在も衰えを知らない活動を続けている。1993年に大英帝国勲章コマンダー(CBE)、2012年には大英帝国勲章ナイト・コマンダー(KBE)を授与された。
1標本作りに明け暮れた化石探しの少年時代
デービッド・フレデリック・アッテンボロー(David Frederick Attenborough)は1926年5月8日に英南部ミドルセックス(現グレーター・ロンドン)のアイルワース(Isleworth)で生まれ、父親のフレデリックが学長を務めるレスター大学のキャンパス内のカレッジ・ハウスで育った。デービッドは3人兄弟の2番目で、兄は後に俳優兼監督となったリチャード・アッテンボロー(1923~2014年)、弟は自動車メーカー、アルファロメオ社の重役となったジョン・アッテンボロー(1928~2012年)だ。また、第二次世界大戦中に両親が英国のボランティア活動「キンダートランスポート」を通じて、ドイツからユダヤ人の難民の少女を2人養子に迎えた。
アッテンボローは、幼いころから化石や鉱石をはじめとする自然の標本を集めることに夢中だった。著名な英考古学者のジャケッタ・ホークス(Jacquetta Hawkes)にそのコレクションを賞賛され、励まされたこともあったという。大学の敷地内で多くの時間を過ごしていたアッテンボローは11歳のとき、動物学部が大量のイモリを必要としていることを聞き、父親を通じて3ペンス(今の価値で約50ペンス=約90円)で供給することを申し出た。当時は明かさなかったが、イモリを捕まえた場所は、学部の研究室から5メートルほどしか離れていない大学構内の池だったらしい。この出来事を振り返ったアッテンボローは「私は非常に若くして、動物から生計を立てる可能性があることを知った」と冗談めかしてBBCに語っている。また、12歳のころに養子の妹であるマリアンヌから古代の生物が封じ込められた琥珀の一片を貰ったが、約60年後に、その琥珀の中の生物から当時の気候や環境を知る、2004年のBBCドキュメンタリー番組「The Amber Time Machine」が生まれた。これはアッテンボローが少年時代の好奇心を変わらず持ち続けている良い例だといえる。
2024年放送の「David Attenborough and The Giant Sea Monster」の1シーン。いくつになっても化石が大好きなアッテンボロー
2長いキャリアの始まりBBCへの入社
1945年にケンブリッジ大学へ入学し、地質学と動物学を学んだアッテンボローは、卒業後2年間兵役で英国海軍へ入隊する。退役後は子ども向けの科学の本の編集者として、ある出版社に職を得た。しかしすぐにその仕事に幻滅したそうで、50年にBBCのラジオ番組「Home Talk」のプロデューサーの仕事に応募。不採用となったものの、その履歴書が当時の新興メディアだったテレビ(現在のBBC1)のトーク部門の責任者、メアリー・アダムス(Mary Adams)の目に留まった。第二次世界大戦後、本格的なテレビ放送が始まったのが47年。アッテンボローは当時のほとんどの英国人と同様にテレビを所有しておらず、それまでに1回しかテレビ放送を見たことがなかったという。
それでもアッテンボローは3カ月間インターンとして働き、1952年に正式にBBCに入社した。当初アダムスはアッテンボローの歯が大きすぎると考え、カメラの前に出すことを迷っていたというが、53年の9月に生き物の擬態を紹介する子ども向け番組「Animal Disguise」で、アッテンボローはスクリーン・デビューを果たした。ただし本格的なキャリアは、54年12月に放送された「Zoo Quest」から始まったといえる。この番組は、スタジオでのプレゼンテーションと現地で撮影された映像を組み合わせたもので、当時としては前例のないアプローチだった。アッテンボローはロンドン動物園のスタッフを伴い、さまざまな熱帯地域を訪れては、ニシキヘビやコモドドラゴン、極楽鳥などのエキゾチックな動物を紹介。英国では多くの国民が、53年のエリザベス女王戴冠式のテレビ中継のためにテレビを購入していたこともあり、珍しい海外の動物たちの姿が見られるこの番組は、7年も続く大人気シリーズとなった。
アッテンボロー(写真左)が子ども番組を撮影中のBBCスタジオを訪れたチャールズ王子(同中央)とアン王女(同右)
3テレビマンとしての才能BBC2で発揮された手腕
BBCで順調にキャリアを積んできたアッテンボローは、1964年に設立されたばかりで、いまだ番組の方向性が定まっていなかったBBC2の、「コントローラー」と呼ばれる実質上トップの座に昇進。各コンテンツの方向性や発注、スケジュールなどを決定するマネージメントの立場であるため、実際の野生動物番組の制作からはほぼ遠ざかることになった。ただその間、後世に語り継がれるようなテレビ・シリーズの制作に貢献した。一つはカラー・テレビの普及を意識したともいえる番組で、西洋の芸術、建築、哲学に焦点を当てた「Civilisation」。過去の文明や思想の成立を一般の視聴者に紹介する、美術史家ケネス・クラーク(Kenneth Clark)によるドキュメンタリー・シリーズだった。もう一つは統計学者で歴史家のジェイコブ・ブロノフスキー(Jacob Bronowski)が人類の進歩を科学的に振り返った「The Ascent of Man」で、両番組ともアッテンボローによるコミッションにより制作された。1人の学者にシリーズ構成とナレーションを依頼し、最終的に書籍(と後にDVD)にもなるスタイルは、今では普通だが当時は画期的だったという。ちなみに両番組から派生した書籍は現在でも版を重ねている。
また、コントローラー在任中にアッテンボローは、アナーキーなコメディー番組「Monty Python’s Flying Circus」(「空飛ぶモンティ・パイソン」)、現在でも放送されているスポーツ解説番組「Match of the Day」、最新のミュージシャンをスタジオに招きライブで紹介した「The Old Grey Whistle Test」など、いずれも人気が高く英国らしさにあふれたシリーズを制作した。アッテンボローというと自然ドキュメンタリーばかりを思い浮かべてしまうが、ジャンルの違いを超えてさまざまなシリーズを導入した、辣腕テレビマンという横顔もあることは知っておくべきだろう。
1965年、BBC2のコントローラーに抜擢されたばかりのアッテンボロー
4再び自然の中へフリーランスのキャスターに
1969年、アッテンボローはBBCの1と2両チャンネルの制作責任者に就任。毎日は予算の合意、取締役会への出席などでスケジュールが埋まり、ドキュメンタリー番組の撮影業務とは程遠いものとなった。72年にBBCの会長候補に自分の名前が挙がったとき、ついにアッテンボローはもうやりたくないと兄に告白。翌年初め、BBCの職を辞しフリーのキャスターに転身した。そして長年の夢だった自然史ドキュメンタリー「Life on Earth: A Natural History」の制作に取り掛かった。この企画があまりに大がかりで野心的だったため、BBCは制作に必要な資金を確保するため、ワーナー・ブラザーズをはじめとした米国の制作会社との共同制作という方法を採用した。30人のチームで制作に3年を要した、制作費100万ポンド超え(今の価値で約765万ポンド=約15億円)の大プロジェクトであり、撮影は世界中の100カ所以上の場所で行われた。
しかし79年にBBC2で13回シリーズとして放送が始まると、この番組は英国の野生動物ドキュメンタリーの歴史における、マイルストーン的な存在として高く評価されることとなった。最終的に英国だけではなく、世界中で5億人が観たといわれるが、このドキュメンタリー・シリーズが人々に愛された理由は、内容はもちろん、その画期的なカメラワークにあった。これまで撮影されていなかった動物の生態や決定的な瞬間を撮影するために何百時間もねばったり、アッテンボローが望むショットを撮影するために、新しい映画制作技術も考案された。真っ暗な洞窟内でスローモーション撮影をしたり、大陸も時期も違う場面をつないだりと、これまでのドキュメンタリー制作の手法を塗り替えたといってもよいだろう。その後も哺乳類、植物、鳥類、爬虫類、両生類と、地球上の生き物の主要グループを網羅し、ライフ・シリーズは約20年にわたって続けられた。
「Wild Isles」でパフィンの幼鳥が初めて空を飛ぼうとする瞬間を待つ
5生き物から環境へ地球を守る自然保護主義者
かつて番組制作を始めた当初は自然保護を念頭に置いておらず、単に自然界を観察することを楽しんでいたというアッテンボローだが、年数が経過するにつれ自らが撮影している動物や生息地が、人間のせいで絶滅や消滅の脅威にさらされていることに気付いていった。2000年代からアッテンボローは番組内で自然保護や環境問題について言及することが増え、それは時代の流れともぴったり合っていたといえる。ただし、声高に危機を語るというより控えめなアプローチを好み、素晴らしい自然界を紹介することで視聴者がそれを保存しなければという気持ちになることを期待していた。しかし近年では、19年にBBC1で放送された気候変動に関するドキュメンタリー「Climate Change The Facts」やNetflixのドキュメンタリー・シリーズ「Our Planet」のように、人間の活動が地球に破壊的な影響を与えていることを強調した、切実な作品が作られるようになった。
そうした番組に加えて、20年10月にはウィリアム皇太子が主催する「アースショット賞評議会」* のメンバーに任命されるほか、スコットランドのグラスゴーで開催された21年の国連気候変動会議(COP26)のスタッフとして開会式でも演説をするなど、環境問題に対してより直接的なアプローチをするようになった。また同年の第47回G7サミットの首脳陣に対して、「気候変動への取り組みは今や科学的・技術的課題であると同時に政治的課題でもある」とビデオ演説で語りかけ、「私たちは、それに間に合うように対処するスキルを持っている。必要なのは、そうするという世界的な意志だけだ」と結んでいる。自分がこよなく愛する地球と生き物たちを守るため、今もなお体を張って戦うアッテンボローの姿に、共鳴する人は少なくないはずだ。
*2030年までに世界の深刻な環境問題に対する50の解決策を発見することを目標に、革新的なアイデアに対して、10年間にわたり毎年5件、各100万ポンド(約1億8000万円)の奨学金を授与する組織
2021年、COP26の開会式で演説するアッテンボロー
6アッテンボローが携わった人気ドキュメンタリー
モノクロ・テレビの時代から現在まで、映像メディアの歴史と共に歩むアッテンボローがこれまで手掛けた作品は、260作以上といわれる。ここでは英国のテレビで人気だったドキュメンタリーを中心に、代表作を挙げる。
1954年 | BBCに入社し最初の自然ドキュメンタリー・シリーズ、「Zoo Quest」が放送 |
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1969年 | 「Civilisation」が放送 |
1973年 | 「The Ascent of Man」が放送 |
1979年 | 「Life on Earth: A Natural History」が初放送。生命の歴史を取り上げたもので、大成功を収めた |
1984年 | キャリア初の3D映画「The Living Planet」を制作 |
1990年 | ナレーションを担当した「The Trials of Life」が放送 |
1990年代 | 「The Private Life of Plants」や「The Life of Birds」など、植物や鳥を中心にした番組を制作 |
2000年 | 「The Blue Planet」が放送。海洋生態系に焦点を当て、視聴者から高い評価を受けた |
2004年 | 「The Amber Time Machine」が放送 |
2005年 | ナレーションを務めた「Planet Earth」が放送。高解像度の映像で地球の自然を捉え、国際的な評価を得た |
2013年 | 「Africa」シリーズが放送 |
2016年 | 「Planet Earth II」シリーズが放送 |
2018年 | 「Dynasties」シリーズが放送 |
2019年 | 「Climate Change The Facts」「Our Planet」など 環境問題を扱ったシリーズが放送 |
2020年 | 地球の生態系に焦点を当てたシリーズ「A Perfect Planet」が放送 |
2022年 | 「The Green Planet」「Prehistoric Planet」「Frozen Planet II」シリーズが放送 |
2023年 | 「Wild Isles」「Prehistoric Planet2」「Our Planet II」「Planet Earth III」シリーズが放送 |
2024年 | 「David Attenborough and The Giant Sea Monster」が放送 |
アッテンボローをめぐる「ABC」
A恐竜を復活させたい
ギネスブック団体のサイトで「絶滅した動物を1匹だけ復活させることができるとしたら何か」と聞かれたアッテンボローは、「史上最大級の翼竜ケツァルコアトルス」と答えている。ケツァルコアトルスは約6800万年前から約6600万年前にかけて北米大陸に生息していたが、翼を広げると横の長さが約12メートルあまり。生物学的に飛翔できるサイズを超えているといわれている。
B故エリザベス王と同い年
故エリザベス女王とアッテンボローは2人とも1926年生まれ。生まれ月も1カ月しか離れておらず、たびたび顔を合わせる機会もあり、環境問題について話したこともある模様。「テレグラフ」紙によると、「Blue Planet」などのアッテンボローによる番組にいたく感銘を受けたエリザベス女王は、2018年に王宮内でプラスチックのストローとペットボトルの利用を禁止すると決めたという。
C20ポンド札の顔になれそうだった
20ポンド紙幣は長年、経済学者のアダム・スミスが印刷されていたが、2020年から画家のJ・M・W・ターナーに一新。ただし、17年に調査会社YouGovが「新札の顔になって欲しいのは誰か」という世論調査をしたところ、調査対象となった2128人のうち40パーセントもの人がアッテンボローと回答した。2位は7パーセントのチャールズ皇太子(当時)で、アッテンボローがぶっちぎりで1位だった。
Dアッテンボローの名前が付いた生き物たち
現存するものと絶滅したものを含め、少なくとも20の種属がアッテンボローに敬意を表して命名されている。アッテンボローにちなんで学名が付けられた最初の生物は、オーストラリアのヤモリ「Oedura attenboroughi」(オエデュラ・アッテンボローイ)。次が首長竜の「Attenborosaurus」(アテンボロサウルス)。アッテンボローはこの恐竜の名前が1番のお気に入りだそうだ。
Eプラント・ベース食品に移行中
アッテンボローは自分は菜食主義者でもビーガン食の信奉者でもないと2019年に英国の情報誌「グッド・ハウスキーピング」で語っている。ただし、食卓に上る肉がどのようなルートでやってくるか、またその製造方法が地球にどのように悪影響を与えるかなどを考えると、以前よりは肉を食べなくなったそう。環境負荷を軽減するという植物由来のプラント・ベース食品を取り始めたことを明かしている。
Fもし歩けなくなったら?
2013年、心臓にペースメーカーを入れ、腰の手術もしたアッテンボロー。もし将来歩けなくなったらどうするかとの「デーリー・メール」紙の問いに、「そうしたら、それはしょうがない。座ってできそうな、アメーバーについての番組を作るかな。例えば、『Micro Monsters』(ミクロの怪物たち)とか」。このインタビューは約10年前に行われたもの。まだまだアメーバーの研究は始まりそうにない。
iPlayerで観られる2024年に放送の
「アッテンボローの最新ドキュメンタリー」
- David Attenborough and The Giant Sea Monster
- Blue Planet III(10月放送予定)
最も新しいドキュメンタリーは、BBC2で1月7日放送の「David Attenborough and The Giant Sea Monster」。昨年12月に英南部ドーセットのジュラシック・コーストで発見された、海のティラノサウルス・レックスともいわれる大型の海生爬虫類プリオサウルスの頭蓋骨が発掘される模様を、アッテンボローがチームに参加してリポートした。
さらに今後は海洋の神秘を追う人気シリーズの第3弾、「Blue Planet III」の放送も予定されている。また、これまでにアッテンボローが携わった過去の名作ドキュメンタリーは、BBC iPlayerでまとめて観ることも可能だ。
プリオサウルスの頭蓋骨を見るアッテンボロー(写真左)
BBC iPlayer: Sir David Attenborough
https://www.bbc.co.uk/iplayer/group/p03szck8