英語圏では、日本人と合わせて「オリエンタル」と一括りにされることも多い、中国、韓国などを含む東アジア出身の人々。英国に暮らしていると、外見が似ているからか、こうした人々に今まで以上に親近感を抱いてしまったりする一方、現地社会に上手く溶け込み、たくましさを発揮する姿が眩しく見えることもある。実際、英各界の第一線には、東アジア出身の人材がたくさん存在する。そんな彼らの勇姿に学ぶべく、英国のオリエンタルな有名人を紹介する。
(本誌編集部: 長野雅俊)
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円滑なコミュニケーションのために
自道に勉強して語学を習得する
パク・チソン
Park Ji-Sung
サッカー選手 29歳
イングランドのプレミア・リーグ の強豪、マンチェスター・ユナイテッド(マンU)に所属するサッカー選手。日本の京都パープルサンガ、オランダ・リーグのPSVアイントホーフェンで数年ずつプレーした後、2005年にマンUに移籍した。
各国代表チームではスター選手なのに、欧州リーグでの活躍はいまいち、というアジア選手が多い中で、同選手は例外的にイングランドでも存在感を存分に発揮。「酸素タンク」との別名を付けられるほどの豊富な運動量とスタミナで、常勝を宿命付けられたマンUの貴重な戦力となっている。
そんな同選手を支えているのが、「他の選手とコミュニケーションを図るために、語学を学ぶことは絶対に必要」という信念。Jリーグ時代は大阪経済法科大学で学び、英国では週に2、3回の頻度で英語のマン・ツー・マン指導を受けて日本語、英語を習得。現在ではどちらの言語でインタビューを求められても、通訳なしで堂々と応じることができる。
疲れ知らずの献身的な働きだけでなく、習得した現地語を通じて、チームメイトとの円滑なコミュニケーションを図る。彼ならきっと、どの国に行っても、周囲の信頼を勝ち取ることができるだろう。
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アジアの伝統と
西洋の合理的な経営手法を融合させる
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アラン・ヤウ
Alan Yau
レストラン経営者 48歳
日本風料理チェーン「ワガママ」、ミシュランを獲得した高級中華レストラン「ハッカサン」と「ヤウアチャ」、客単価200ポンドといわれる超高級日本食レストラン「酒の花」などで、英国の食品業界に革命を起こしたレストラン経営者が、アラン・ヤウだ。
香港生まれ。12歳のときにイングランド東部ノーフォークに家族揃って移住するも、まだ外国人の存在が珍しかった1970年代当時の、しかも地方における移民生活は、「非常に厳しいものだった」という。
同地で中華レストランを経営していた両親に育てられた彼は、大学を卒業すると、香港のマクドナルドやロンドンのケンタッキー・フライド・チキンでのアルバイトに精を出すようになる。これらの経験を通じて、アジア料理のメニューと西洋的なファーストフード店の経営手法を融合させた「ワガママ」の構想を思いついた。同店が成功を収めた後、やはり西洋的なマーケティング手法を駆使しながら、タイ、中華、和食をテーマとした新店舗を次々と開店している。
アジアの伝統を西洋的にアレンジして成功したという意味で、自らを「ブルース・リーみたい」と述べる彼の成功の秘密は、その見事なまでの折衷主義にあるのかもしれない。
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繊細で丁寧なもの作りで
英国王室のお墨付きをもらう
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Picture by: Chris Radburn/PA Wire/Press Association Images
ジミー・チュー
Jimmy Choo
靴職人 49歳
世界中のセレブたちに愛用される高級靴ブランド、ジミー・チューをつくり上げた靴職人の成功物語は、ロンドン東部の病院跡に設えられた作業場から始まった。
マレーシアの中国系一家に生まれる。靴店を経営していた父親に、幼少時から靴作りを手取り足取り教えてもらい、11歳のときには既に1人で靴一足を仕上げたという。靴作りを極めようと、後にロンドン・カレッジ・オブ・ファッションとなる英国のアート学校に留学。レストランや靴工場で清掃の仕事をして学費を稼ぎながら、優等の成績で卒業した。
その後、ロンドンで本格的な靴作りを始める。その品質の高さが徐々に評判を呼ぶようになり、1988年に「ヴォーグ」誌が大々的に取り上げると、人気は急上昇。1996年、同誌の編集者と共に自身の名を付けた高級靴ブランド「Jimmy Choo」を立ち上げ、その名は世界中に知れ渡るようになった。
ハリウッド女優から各国の王室メンバーといった面々が顧客リストに名を連ねる中で、同ブランドの最も熱烈なファンが、故ダイアナ元妃だったという。繊細な手仕事を通して世界的なブランドを確立する彼の姿は、同じく手先が器用だとされる日本人にとって、模範例となるに違いない。
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外国人コンプレックスを
バネにして矜持を持つ
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Picture by: Chris Radburn/PA Wire/Press Association Images
マイリーン・クラス
Myleene Klass
タレント 32歳
英国人とオーストリア人のハーフである父親と、フィリピン人と中国人のハーフの母親との間に生まれたという多国籍な英国人タレント、マイリーン・クラス。ノーフォークで過ごした学生時代には、肌の色の違いや、いかにも外国人的な名前を理由に同級生にからかわれてばかりいたという。「外国人」とのレッテルは、顔に唾を吐かれるなどのいじめにまで発展したため、一時は褐色の肌の色を隠すために、パウダーを顔に塗りつけて学校に通っていたと後に語っている。
4歳からピアノとバイオリンを始め、後にハープや声楽も学んだ。王立音楽学校を卒業後に出場したテレビの人気オーディション番組「Popstars」を勝ち抜き、ポップ・グループ「Hear' Say」を結成。これで英国人セレブの仲間入りを果たした。同グループ解散後はリアリティー番組への出演などで注目を浴び、現在はモデルとしても活躍している。
芸能界入りしてからは、「金持ちの家を掃除するだけがフィリピン人女性の仕事ではないことを、英国人に分からせたい」という、優しそうな外見には似合わない、強烈な自尊心を持ち続けてきたという彼女。外国人コンプレックスを成功へのエネルギーに変えることで、立身出世を叶えてみせた。
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日英文化の間を文学的に
自由に行き来してみせる
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Photo: Mariusz Kubik
カズオ・イシグロ
Kazuo Ishiguro
作家 56歳
代表作「日の名残り」で、英国で最も権威ある文学賞であるブッカー賞を受賞したのが約20年前。「カズオ・イシグロ」の名は、今では英文学の教科書で名が紹介されるほどになっている。
1954年、長崎生まれ。海洋学者の父親が北海油田の調査に参加するため、5歳のときに英国へ移住。ロンドン郊外で幼少期を過ごし、ケント大学の英文学科、イースト・アングリア大学大学院の創作学科を卒業した。若かりし日は、レコード会社にデモテープを送るなどして、ミュージシャンになることを志していたという。
祖国である日本への憧憬を基にして書いたという処女作「遠い山なみの光」と第2作「浮世の画家」では戦後直後の日本を舞台に設定し、没落する英国貴族の執事を主人公とした「日の名残り」では、「英国人作家の作品よりも英国的」と形容される機微な描写が高い評価を得る。この初期3作において、日英の文化の間を文学的に行き来してみせたことで、彼の作家としての地位は確立された。
既に英国への帰化を済ませており、人生の大半を英国人として過ごしてきた彼だが、最近になって日本語を少しずつ学び始めたという。彼のアイデンティティーは、今も日英の間での行き来を続けている。
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西洋音楽の伝統を打ち破る
斬新なアイデアを実現する
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Photo: Kowarisuki
ヴァネッサ・メイ
Vanessa Mae
音楽家 31歳
タイ人の父、中国人の母を持つ、シンガポール出身のバイオリニスト。日本では、2006年に開催されたトリノ冬季五輪でフィギュア・スケート金メダルを獲得した荒川静香が彼女のアルバム収録曲を採用したことから、その名が知られるようになった。
幼くして両親が離婚。母が英国人男性と再婚したため、4歳で英国に移住した。いわゆる「ステージ・ママ」の母から多大な支援を受け、10歳で音楽家デビュー。13歳のときには、チャイコフスキーとベートーベンのバイオリン協奏曲の演奏録音を行い、その最年少記録を塗り替える神童ぶりを発揮した。
彼女が人気を集めた要因は、西洋のクラシック音楽の枠に囚われない、斬新なアイデアだった。露出度の高い衣装を着用し、電子音楽など異なるジャンルの音楽とのコラボレーションを企画するといった、当時はまだ珍しかった、クラシック音楽のエンターテイメント化を実現。水着姿での演奏といった試みは、音楽家たちから非難を浴びた一方、普段はクラシック音楽に馴染みのない人までをも惹き付けた。
外国人として、クラシック音楽の本流に入るのが難しかった彼女だからこそ、伝統の殻を打ち破ることができたと見るのは、穿ち過ぎだろうか。
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悩みと苦しみを
ユーモアと優しさに変えてみせる
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ゴク・ワン
Gok Wan
ファッション・コンサルタント
35歳
自分の容姿に悩みを持つ女性を励ます番組「How to Look Naked」でお馴染みのファッション・コンサルタント。
香港人の父親と英国人の母親の下に生まれ、イングランド北部レスターの公営住宅で育つ。細身な体でいつも元気にまくしたてる現在の姿からは想像もつかないが、極度の肥満に陥った幼少期は、周囲と溶け込めず、みじめな時間を過ごしたという。俳優になることを目指して演劇学校へ通うが、裕福な学生たちとの価値観の違いに愕然とし、中退。また中国人コミュニティーの中ではとりわけ拒否反応の強い同性愛者であるとの自覚も、塞ぎ込む理由となった。
こうした苦労を通して学んだのが、ユーモアの精神。また肥満に悩んでいたとき、服を変えるだけで外見が著しく変わることに気付いたことが、ファッションに興味を持つきっかけとなった。さらに、幼い頃から父親が経営していたレストランの手伝いなどを通して学んだ接客術も、随分と役に立ったという。
テレビ番組や雑誌のコラムを通して、体にコンプレックスを抱える女性たちに自信という名の万能薬を与えることを生業とする彼。かつて経験した自身の苦労があるからこそ、その優しさにも説得力があるのだろう。
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生まれ持ったオリエンタルな容姿を
武器に魅惑する
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Picture by: Samir Hussein/EMPICS Entertainment
ジェーン・マーチ
Jane March
女優 37歳
中国人青年とフランス人女性の愛を描いたロマンス映画「愛人/ラマン」での熱演で一世を風靡したジェーン・マーチの半生は、現代のシンデレラ・ストーリーとでも呼ぶべきものである。
1973年に、ロンドン北部に生まれる。父はスペイン系英国人、母はベトナム人と中国人のハーフ。14歳のときに恋人に振られたことをきっかけに、「復讐」の意味を込めて、モデルを目指すようになったという。そのオリエンタルな容姿を武器に、すぐさまモデル・コンテストで優勝。やがて各ファッション誌に頻繁に登場するようになり、ある雑誌の表紙を飾った彼女の写真が、アカデミー賞受賞監督のジャン・ジャック・アノー監督の目に止まる。演技の経験が全くないにも関わらず、主役に大抜擢され、「愛人/ラマン」でいきなり映画デビューを飾った。そして第2作「薔薇の素顔」でハリウッドへと進出し、同作のプロデューサーと結婚と、その後の彼女の人生はトントン拍子で進んでいく。
ただ初期2作におけるあまりに赤裸々なシーンのために、一時は卑猥なイメージがまとわり付いたのも確か。2001年には離婚。オリエンタルな容貌を持つシンデレラは今、第2の人生を歩もうとしている。