ロンドン中心部リージェンツ・パークのそばに、「リージェント・カナル」と呼ばれる運河が通っている。小川とも形容できそうな、細く、流れの緩やかなこの河は、やがてグランド・ユニオン・カナルと呼ばれる全長220キロの運河に合流し、イングランド中部の工業都市バーミンガムまで続く。この運河をカヌーで渡る旅に挑戦する、72歳の日本人男性がいた。カヌーでの日本一周を達成し、カナダ、欧州と旅してきた吉岡嶺二さんが英国運河の旅に出掛けるまでの日々に密着した。
(本誌編集部: 長野 雅俊)
1938年に旧満州ハルビンに生まれる。早稲田大学卒業後、大日本印刷入社。会社員時代に、週末や夏休みを利用して、カヌーでの日本一周を始める。定年後は、カナダや、フランス、オランダを含む欧州を縦断するカヌー旅行を行っている。神奈川県在住。72歳。
捕鯨船の砲手になりたかった
南アフリカで開催されたサッカーのワールド・カップ、イングランド対スロベニア戦が行われた6月23日、午後。市内のパブから漏れてくる歓声や罵声が炎天下の路上にまで時折こだまする中、ロンドン中心部オックスフォード・ストリートに建つ格安デパート「プライマーク」の客足は、さすがにまばらだった。
「サッカーにはあまり興味がない」という吉岡さんは、この店で、これから約2週間にわたる水上の旅に必要な備品を物色していた。「これいいなあ」と言いながら鮮やかな虹色のタオルを手に取ったので、「最近では同性愛の象徴色ですよ」と伝えると、「じゃ、買っちゃおうかな」と笑って答える。結局、別のタオルとサンダル、Tシャツを購入して店を出た。
小さいときから、海が大好きだったという。湘南の海辺で育ち、中学校時代の作文には、「捕鯨船の砲手になりたい」と書いた。だが近眼が足枷(あしかせ)となった上に、商船大学への入学に必要な理数系の科目が、「極端に駄目だった」。結局、早稲田大学を卒業後に、日本の2大印刷会社とされる大日本印刷に就職する。
「私、会社でネクタイを締めなかったんですよ。それでよく怒られましてね。人事部に呼ばれて、ダーク・スーツ着てきなさいってしょっちゅう言われていました。それでもネクタイしなかったけど(笑)」。
「ネクタイを締めない社員」は、30代後半になり、カヌーを趣味とするようになる。「当時は、趣味でカヌーに乗る人なんてほとんどいませんでした。ゴルフを1回するのに3万円ぐらいかかっていた時代です。カヌーにかけるお金といったって、ほとんどが家からカヌーに乗りに行く海までの旅費で、それが1回につき往復で3万円ぐらい。月1回ゴルフするのと一緒じゃないかって、周囲には言っていました」
41歳になったとき、太平洋を介して、鎌倉から京都までをカヌーで渡ってみた。この旅の成功をきっかけとして日本一周を目指すようになるのだが、サラリーマン稼業なので、旅に出掛けられるのはもっぱら週末や日数の限られた休暇期間のみ。そこで思いついたのが、「建て増し住宅方式」だ。旅の行程を週末や休暇ごとに分割し、ある週末に辿り着いた終着地点が、翌月の休日に行う旅の出発地点になるという方法で、鎌倉から京都までの旅に続いて今度は鎌倉から青森までを漕いで、本州の太平洋側を制覇。その後、日本海側を行き、本州一周を完結。さらに、九州一周、四国一周、北海道の南半分を周って、定年になった。最後に残されていた北海道の北半分及び沖縄の本島を漕いで、23年かけて日本一周をついに遂げた。その間に韓国の済州島(さいしゅうとう)でもカヌー旅行を楽しんでいる。
格安デパート「プライマーク」で買い物
これまで訪れてきた街の名が記されたカヌーに、
「London」の字を書き込む
リージェンツ・パークで朝のジョギングを楽しむ人が、
カヌーの組み立てを行う吉岡さんを横目で見ながら通り過ぎていく
オックスフォード・ストリートから、ピカデリーにあるアウトドア用品専門店「コッツウォルド・アウトドア」へと徒歩で移動。ガム・テープ、折りたたみ布バケツと、マット代わりになるウレタン・ロール・シートを購入する。ロンドンでの現地調達を予定していた備品をひとまずすべて揃えたところで、今度はすぐ近くにある紅茶販売の老舗「フォートナム & メイソン」のカフェで一服することになった。「家内が紅茶好きでしてねえ」と言って、また話し始める。
2001年に定年退職すると、カヌーに捧げることのできる時間が一挙に増えた。「定年退職した翌日に、奄美でカヌー・イベントがあったんですよ。家内と2人で行って。2人乗りのカヌーの後ろに、家内を乗せました。『お前は荷物だよ。俺が漕ぐから』って言ってね」。その日、自分が定年を全うしたことを実感したという。「普段だったら、そのカヌー・イベントが終わったら、職場にとんぼ返りするんです。でもその日は奄美の民宿に泊まったんですよね。もう次の日に出社する必要がないから」。
やがて、カヌーの旅は海外に場を移すことになった。まずは、息子さんが在住するカナダのトロントに接するオンタリオ湖から大西洋までの1300キロの運河。次に欧州はオランダのアムステルダムからフランスのマルセイユまでの運河を2000キロ。そして今度は、産業革命発祥の地として広大な運河網を誇る、英国に乗り込んできたわけである。
翌々朝。午前7時に吉岡さんが宿泊しているホテルに赴くと、彼は既に、「プライマーク」で買った速乾仕様の黒い長袖の服に着替えて、ホテルの入り口前で待機していた。「行きましょうか」と言って、運搬用の車輪に乗せたカヌーの備品一式を引きながら道路の上を歩き出す。これから出勤するところなのであろう、すれ違う通行人たちの目が、カヌーの行方を見つめていた。
休みを取ってカヌーの旅をすることに対して、会社の同僚の人たちの理解は得ていましたかと聞くと、「300日だけです」と言う。カヌーを始めたのは39歳のときで、退職したのが62歳だから、その間の勤続年数は23年。つまり約7000日働いて、旅に費やした日数は300日だけという意味だ。
「私、仕事大好き人間でしたからね。私たちの時代は、仕事が楽しかったんですよ。今の管理職の人たちは、どの部から何人減らせだとか、そういう話ばかりでしょう。辛いだろうな。他人を苦しめて、そして自分を苦しめるのが仕事の一つになっているんじゃないかなあ。嫌な時代になったと思うけど。私たちは高度成長の時代ですからね。頑張れば、頑張っただけの結果が出た。給料は、もともと少なかったっていうのもあるけど、アップ率だけは一丁前でしたから。その代わり、働きましたよ。100時間残業なんてもんじゃないです。土曜日は皆勤の時代でしたし。週休2日制になっても、土日とも皆喜んで出勤していた。だからカヌーの計画がおじゃんになってしまうことはよくありましたよ。それが、時代が変わってきて、休みが取りやすい世の中になってきた。『吉岡君、そろそろカヌーに行かなくていいの』なんて上司から逆に聞かれるようになってきちゃった」。
ホテルから5分ほど歩いてリージェンツ・パークに到着すると、吉岡さんは、組立式のカヌーの備品一式を芝生の上に広げた。頭上を舞う大量の蚊を両手で追い払いながら、組立作業を行う。その間、早朝のリージェンツ・パークを駆け抜けるランナーたちが、訝しげな視線を時折送りながら、走り去っていく。「ナイス・ボート!」と一声かけていくスーツ姿のビジネスマンもいた。最後には、「この公園で一体何しているんだ」と言って、公園の管理人から注意を受けてしまったのだけれど。
1時間くらい経つと、カヌーの組立作業が完了した。さっきまでばらばらだったアルミと布でできただけのものが、よく水に浮かぶなあと、ちょっとした感慨を抱いてしまう。カヌーの布地部分には、これまでの旅で訪れたいくつもの地名が書き込まれている。万が一のときのために、日本の家の住所も記されていた。
会社の同僚の理解は得ていたとして、休日をすべてカヌー旅行に捧げられてしまったご家族の方はご不満だったんじゃないですかと聞くと、またしても答えは否だった。「子供の運動会や授業参観のときは日程を入れていませんでした。毎週休みをつぶしたというわけではありません。そもそも、私がカヌーを始めたのは39歳になって以降で、日本一周の旅に出たのは41歳ですから。子供たちもそこまで手がかからなくなっていて、その頃にはもう学校の部活に一生懸命になっていました」。
実際、吉岡さんのカヌー生活に対して、ご家族はすっかり慣れっこの様子だった。渡英前の、Eメールを使わない吉岡さんに代わって、現在は既に結婚されている娘さんを通して連絡する機会が何度かあったのだが、それらのメールの末尾には、いつもこんな文面が添えられていた。「娘の立場から、こんなに早くにご連絡をするのは、いかがなものかと思ったのですが、なにぶん年寄りなもので、早めの準備をしないと不安があるようです。申し訳ございません」「なにぶん老人で、無鉄砲、かつ失礼の多い父ですが、どうかお付き合いくださいませ」。
組立式のカヌーに空気を入れ込む
車輪に乗せてカヌーを運ぶ
ロマンティック街道にも行きたい
組み立てたカヌーを再び運搬用の車輪に乗せて、リージェント・カナルまで運んだ。ロンドン動物園前からの出発だ。隅々まで最終点検を行った後、いよいよ運河にカヌーを下ろす。船体が、水に浮かんだ。
吉岡さんは、「それでも絶対何か忘れちゃうんですよね」と苦笑いしながら、最後に忘れ物がないかもう一度だけ確認した。そして、日の丸が結び付けられたパドルを漕ぎ出す。こちらは、もう少しだけ写真撮影したいからと断って、側道を歩きながら、水上の吉岡さんを追いかけていくことにした。
「少し慣れるまで時間がかかるかな」と言いながら、時折、蛇行してみたり、180度回転してみたりしてくれる。「いよいよ英国運河の旅が始まりましたね」「そうですね」「どんな気持ちですか」「楽しみだなあ」などといった何気ない言葉を水陸間で投げ合いながら、運河上を進む吉岡さんとの会話はもうしばらく続いた。
吉岡さんはヨットも趣味としていて、自宅から歩いて行けるハーバーを頻繁に訪れている。「週に3日か4日ぐらい通っていますかね。船を出さなくても、仲間が集まってくるんですよ。外国人も含めて。最近は、米国のアリゾナから来たという方が、よくハーバーに来てくれます。新しい友達がこの年になってもできるというのは、ありがたいことですね。維持費は、年間14万3000円です。その程度のお金で1日中遊ぶことができる日が続くんだからいいですよ。お酒ですか?はい。飲みますねえ。というか、それが楽しみでやっているんだけれどもね(笑)」。
2006年から始めた、アムステルダムからマルセイユまでの欧州運河の旅でも、現地の人々と知り合い、友好を深める機会があったという。ブルゴーニュ運河を2人で一緒に渡ったという、ベルギー人との出会いもあった。「本当は、今回の英国運河の旅にも彼には同行してもらいたかったんだけどね。どうしても予定が合わなかった。彼とはいつかドイツのロマンティック街道の辺りにも行きたいな。あの古城の河を渡ってみたい」。
側道から水上の吉岡さんを追いかけ始めて、数十分が経っていた。「この先、河沿いの道は行き止まりになっていますから、迂回してまた戻ってきてください。私はゆっくりとこのまま河の上を直進していきますから」と言われて一度別れた後、リトル・ベニスと呼ばれる水辺の一帯に辿り着いた。対岸で、先に到着していた吉岡さんが大きく手を振っている。
休憩代わりに陸に上がってまた少し話をしてくれた後、今度こそ本当の船出を迎えた。「それでは」と言って、再び漕ぎ出す。
気付けば運河の河幅は広くなり、既にグランド・ユニオン・カナルと名前を変えている。その運河上を行く吉岡さんの姿が、随分と速く、小さくなっていった。
パドルに日の丸を結び付けて、準備完了
カヌーを運びながら狭い道を通るのは一苦労
ロンドン動物園前でカヌーを下ろし、いよいよ出発
リージェント・カナルを渡る
そしてグランド・ユニオン・カナルへと旅立っていった
吉岡さんによる、英国運河の航行記が、次週より連載されます。お楽しみに!