英公文書館で世界の歴史を垣間見る - 土地台帳から、スパイの足跡まで
先月、約1年ぶりに日本に一時帰国する機会がありました。毎日のように報道されていたのは、いわゆる「森友文書の書き換え問題」です。これは学校法人森友学園(大阪市)に対する格安値での国有地売却を巡り、財務省が作成した決済文書に書き換えがあったと、朝日新聞がスクープ報道したのがきっかけでした。
公文書に書き換えがあったとすれば、これにかかわった人は虚偽公文書作成罪や公文書偽造罪(いずれも懲役1~10年)に問われる可能性があります。また、政府文書を基に様々な政策が実行される仕組みになっているので、その土台が崩れることにもなりかねません。現在、日本ではこの問題の真相究明が焦点となっています。
公文書には、その時々の政治、経済、社会の動きが反映されています。これを実感したのが、ロンドン南西部キューにある「英国国立公文書館」(The National Archives)を訪れたときです。ロンドン中心部から公共交通機関を使って約40分程かかりますが、ここには様々な公文書が所蔵されており、閲覧申請も簡易ですので、歴史に興味のある方は一度足を運ばれることをお勧めします。
館内に収められているのは、11世紀以降の国の公務に関わるあらゆる「記録」(レコード)で、国王の証印、閣議記録、地図、布見本、写真、絵画、手紙、手書きメモ、落書き、手袋、名刺などの事物、近年では電子メールやウェブサイトも保存されています。全部で約1100万点以上あり、もしすべての書類を積み上げた場合、全長が約160キロメートルになるそうです。一方、日本の国立公文書館のその長さは約50キロメートルと推定され、また職員数は約50人。英国の公文書館の職員は約600人、英国の人口は日本の約半分ですから、英国は日本よりも公文書の収蔵・管理に熱心といって良いでしょう。 ただし日本では、現在新たな公文書館の建設計画が進んでおり、これが実現すればかなり大きな規模の施設になりそうです。
英国で国政レベルでの公文書管理が始まったのは、19世紀です。数カ所に置かれていた公文書を一堂に集めて管理する体制を作るまでにいくつもの調査委員会が立ち上げられ、30年余の年月をかけて議論した後で、今の公文書館の前身となる「パブリック・レコード・オフィス」が1838年に立ち上げられました(2003年に現在の名称に変更)。ちなみに、日本で国立公文書館が設立されたのは1971年です。
1958年の公記録法によって、英政府省庁から公文書館への文書の移管についての様々な規則が定義されました。この時は50年を経た公文書に国民のアクセス権が明示されたのですが、現在までにこれが20年に改訂されています。
では英国国立公文書館内には、一体どんなものがあるのでしょう? 膨大な収蔵物の中から、ハイライトになるものを展示しているのが、公文書館内にある「キーパーズ・ギャラリー(館長の画廊といった意味)」です。残念ながら現在は改装中ですが、5月には再オープンします。以前の展示では、例えば公文書館にある最古の文書で、世界初の土地台帳「ドゥームズデー・ブック」(1086年)の複製版、20世紀初頭の女性参政権運動の闘いを伝える記事、「王冠をかけた恋」で知られるエドワード8世の退位証明書(1936 年)、1930年代にケンブリッジ大学で知り合い、後にソ連の二重スパイとなる5人組「ケンブリッジ・ファイブ」の写真や、彼らが残した電報などがありました。このほかにも、貴族と都市が王権を制限した「マグナ・カルタ」など、世界的に著名な公文書が数多く所蔵されています。
閲覧者カードを作ってもらえば、歴史的文書の原本を閲覧することができます。無料・有料のイベントがたくさん開催されていますが、一押しは書庫を訪れるツアーです。数階に分かれた書庫を巡りながら、案内してくれる職員から裏話を聞くことができます。館内には自然食品を使ったレストランもあり、ゆったりした1日を公文書館で過ごしてみてはいかがでしょうか。