「Black Lives Matter」反人種差別デモが奴隷商人の銅像を倒す - ロンドン市長は記念碑に関する委員会を設置
米国で黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警官に暴行されて亡くなった事件(5月25日)で、世界中に反人種差別を訴えるデモが発生しています。合言葉は「Black Lives Matter」(白人と同じように黒人の命にも意味がある)です。
英国でも各地で同様のデモが行われるなか、6月7日、英南西部の港町ブリストルでは、17世紀の奴隷商人エドワード・コルストン(1636~1721年)の銅像がデモ参加者の手によって倒され、ブリストル湾に投げ込まれる衝撃的な事件となりました。コルストンはブリストルの裕福な家庭に生まれ、元は毛織物品の貿易商人でした。1680年、アフリカ西部の奴隷貿易市場を独占していた王立アフリカ会社(RAC)に入り、ここで巨額の富を築きます。英メディアによると、RACは1672~89年の間に約8~10万人の黒人の男女や子どもたちをアフリカ大陸から米国大陸に送り込んだそうです。足枷かせを付けられ、密集状態で船に乗せられた人々は、1~2カ月にわたる長旅の不衛生な環境、脱水症状、赤痢やほかの疾病などが原因となって、その10~20%が航行中に亡くなったといわれています。1689年、コルストンはRACの株を売却し、慈善家としてブリストルやロンドンの学校や病院を支援。短期間ですが下院議員にもなり、遺産の多くを慈善団体に寄付しました。
奴隷貿易の拠点の一つだったブリストルには、今もコルストンにちなんだ名称の通りや建物、記念碑が多く残っています。しかし奴隷商人の銅像を公的空間に据えておくことへの反対運動が広がり、2018年には、ブリストル市が銅像の下にコルストンの奴隷貿易への関与を説明する文章を付けることを決定したのですが、意見がまとまらず、そのままになっていました。
コルストンの銅像事件を機に、今の時代にそぐわないほかの銅像もなくするべきという声が出てきました。6月9日、ロンドン東部ドックランド地区にあったロバート・ミリガン(1746~1809年)の銅像がこれを管轄する「運河河川トラスト」によって撤去されました。ミリガンはジャマイカで多数の奴隷を使った砂糖プランテーションを経営していたのです。
ロンドンのサディク・カーン市長は同日、市内の壁画、通りの名称、銅像ほかの記念碑の中でどれを残すべきかを議論する委員会を設置すると発表しました。
奴隷貿易や植民地支配に関係する人物の銅像撤去を求める動きは、英国各地で広がっています。オックスフォード大学オリオル・カレッジの建物の外壁にあるセシル・ローズ(1853~1902年)の石像もその一つ。ローズは19世紀、英国の植民地だった南アフリカで鉱物採掘によって巨万の富を築き、植民地の首相にもなりました。母校に巨額の遺産を寄付したことで石像が設置されました。英メディアによると、ほかにも数十の銅像が撤去要求の対象になっています。また、西インド諸島で奴隷制農場を営むリヴァプールの貿易商の息子で、19世紀に4回も首相となったウィリアム・グラッドストーンの名前が付いた建物があるリヴァプール大学は、10日、名称変更を決定しました。
ただし、銅像や記念碑の撤去などは「歴史を消す行為」と考える人もいます。オックスフォード大学のルイーズ・リチャードソン副学長は「歴史を隠す」ことには反対の異を唱えました(BBCニュース、11日付)。「ローズが生きた時代は帝国主義への支持が普通だった」と述べ、歴史的文脈の下で過去を解釈すべきと述べています。
一方、ブリストルのマービン・リース市長は、先のコルストンの銅像を拾い上げ、Black LivesMatterのプラカードとともに博物館に陳列する予定だそうです。「300年にわたる奴隷の歴史と現在の人種間の平等を求める闘いについて学ぶ」機会にしたい、とのことです。
Slave Trade(奴隷貿易)
本稿の文脈では、17~18世紀に欧州諸国が展開した「大西洋奴隷貿易」を指す。英国の場合はロンドン、リヴァプール、ブリストルから工業製品を積んだ船をアフリカ大陸に運んだ後、現地住民を奴隷として米国大陸や西インド諸島に連れて行き、帰路にはこうした人々が労働力となって生産されたタバコや綿花、砂糖など積んで自国に戻る三角貿易だった。奴隷貿易廃止法案可決の1807年までに英国は310万人のアフリカ住民を奴隷として移動させた(英国国立公文書館)。