イスラム組織「ハマス」イスラエルに軍事攻撃犠牲者は数千人に - ガザ地区に閉じ込められた人々
このところニュースを見ると、真っ先に出て来るのがイスラエルとパレスチナの軍事衝突の話です。これは10月7日、パレスチナ自治区であるガザ地区を実効支配するイスラム組織「ハマス」(Hamas)がイスラエルに向けて大量のロケット弾を放ち、イスラエル領内に侵入して襲撃を開始したことがきっかけです。また、200人を超える人質も拘束しており、安否が気にかかります。報復措置としてイスラエルは大規模な空爆を行い、双方の攻撃による死者数は数千人規模に達しました。英国に住む人の中でも自分の家族や友人・知人が拘束されている、あるいは攻撃されて亡くなったという経験を持つ人が少なくなく、切実さが増しています。
ガザ地区は地中海沿岸にある、東西に約10キロ、南北に約40キロの細長い地域です。イスラエルの西側に位置し、南はエジプトと接する場所に200万人強が住んでいます。この地区とイスラエルの東側にあるヨルダン川西地区は、独立国家パレスチナの樹立を目指すパレスチナ自治政府が管轄していますが、地図を見ると、イスラエルの領域内に二つの地域が離れて位置していることが分かります。なぜこのような形になったのでしょうか。そもそも、なぜ紛争が起きたのでしょう。
「パレスチナ」とは、もともとは地中海の東海岸の地域を指してきました。はるか昔、ユダヤ人の王国がここにあったのですが、約2000年前にローマ帝国に滅ぼされ、ユダヤ人は世界各地に移り住むようになりました。19世紀末、パレスチナでユダヤ人の祖国の建国を目指す「シオニズム運動」が広がります。「シオニズム」は旧約聖書のエルサレムの別名「シオン」が由来で、運動は欧州でのユダヤ人に対する偏見や迫害に対する抵抗として生まれたといわれています。一方、16世紀以降、オスマン帝国の支配下にあったパレスチナは、第一次世界大戦後は英国の委任統治領となりました。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによるホロコーストでユダヤ人は600万人もの同胞を失いました。ユダヤ人国家建設への国際的な支持が形成され、戦後1947年の国連総会で、パレスチナの地をユダヤ人とアラブ人の2国に分割し、エルサレムを国際管理下に置く決議が採択されました。これを受けて翌48年、イスラエルが建国しますが、アラブ諸国は分割案を拒否し、第一次中東戦争が始まりました。この過程で多数のパレスチナ人がイスラエルの支配地域から追われてしまいました。1967年の第三次中東戦争でガザ地区はイスラエル軍に占領されました。その後も紛争が続きましたが、93年、全てのパレスチナ人を公的に代表する組織パレスチナ解放機構とイスラエルとの間で暫定自治協定が結ばれます。これで段階的に自治が開始されることになりましたが、和平交渉は次第に破綻。2005年2月、イスラエルとパレスチナ自治政府代表との会談を経て、同年8月からイスラエルはガザ地区からの撤退を始め、9月に終了しました。
それでも、現在、ガザ地区の領空・領海はイスラエルが支配しています。水、電気などのインフラもイスラエルの管理下にあります。隔離フェンスが建設され、地区の外に出るには2カ所の検閲所を通らなければなりません。先月のハマスの攻撃を受けて、イスラエルはガザ地区への食料、水などの生活必需品の供給を完全遮断し、ガザの住民は厳しい状況にいます。
軍事衝突発生後、英国各地では親パレスチナのデモが発生しています。10月21日のロンドンのデモには10万人が参加し、ウェールズのカーディフではデモ参加者がガザ地区での即時停戦を求めました。反ユダヤ主義のヘイト・クライムの件数が急増するなか、イスラエルによるハマスを倒すための空爆や準備中の地上戦を「正当な権利」として支持するのか、「一人でも人の命を無駄にしてはいけない」と反対の姿勢を取るのかで、英国内では意見が分かれています。
Hamas(ハマス)
パレスチナ・ガザ地区を実効支配する武装組織で、名称はアラビア語の「イスラム抵抗運動」の略。イスラエルの破壊とイスラム国家の樹立が目標。2006年、議会選挙で自治政府主流派ファタハに勝利。07年3月、ファタハと挙国一致内閣を成立させたが、破局。ハマスはガザ地区、ファタハはヨルダン西側地区を支配する。