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英国ニュース解説

最終更新日:2012年9月26日

バーレーン情勢と湾岸国の緊張 - スンニ派王家 VS シーア派国民

スンニ派王家 VS シーア派国民
バーレーン情勢と湾岸国の緊張

イスラム教のスンニ派とシーア派という宗派間の抗争が火種となった、バーレーンの情勢不安は、依然として収束に向かう兆しが見えない。バーレーンでの反体制デモは、豊富な石油資源に支えられる湾岸産油国君主の地位と湾岸協力会議加盟国全体の安全保障を脅かすほどの威力を秘めている。

バーレーンと周辺の湾岸協力会議加盟国

バーレーンと周辺の湾岸協力会議加盟国

湾岸協力国会議加盟国における民主化ランキング(2010年)

国名 民主化度
(167カ国中)
言論の自由度
(196カ国中)
政治的腐敗度*
(178カ国中)
クウェート 114 115 54
バーレーン 122 153 48
カタール 137 146 19
オマーン 143 153 41
アラブ首長国連邦 148 153 28
サウジアラビア 160 178 50

*上位ほど腐敗度が低い
出典: Economist

バーレーンの歴史

1971年 英国から独立(イサ首長による首長制国家)
1975年 ハリーファ首相が、国民議会が政府機能を妨害していると主張。イサ首長が国民議会を解散(1973年に憲法廃止、非常事態法を発令)
1981年 湾岸協力会議(GCC)に加盟
1994年 シーア派によるインティファーダ(民衆蜂起)が発生(失業者が労働省に対して投石を行ったことなどが発端)
1999年 ハマド首長が即位(イサ首長が死去)
2002年 立憲君主制度に移行(ハマド首長は国王に称号を変更)
2004年 シーア派による抗議デモ発生(イラク戦争反対運動)
2006年 国民選挙でシーア派の最大野党会派「ウィファーク(イスラム国民統合協会)」が約4割の議席を獲得
2010年 反政府デモ計画などによる政府転覆容疑でシーア派議員20人を逮捕
2011年2月 2001年国民行動憲章の承認10周年を記念し、各世帯に1000バーレーン・ディナール(約22万円)支給を発表(11日)するも、首都マナマで「怒りの日」と称する反政府大規模デモが発生(14日)。主要シーア派議員ら数名を釈放
2011年3月 King Hamadサウジ軍とUAE警察などから成る1000人以上のGCC合同軍「半島の盾軍」 が進駐開始(14日)。ハマド国王が3カ月間の非常事態宣言 を発令(15日)。バーレーン治安部隊が約1000人のパキスタン退役軍人(スンニ派)を新規雇用
2011年4月 法務・イスラム問題省が、反体制デモを主導したシーア派 政党「ウィファーク」などを解党させる旨を発表(14日)したが、米当局からの反対を受け、法的手続きの遅延を決定

バーレーンにおける民主化デモ

2月14日、湾岸の小島バーレーン王国で、国民の約7割を占めると言われるイスラム教シーア派住民が、スンニ派ハリーファ王家に対して「怒りの日」と称する抗議デモを開始した。デモ発生の数日前、北アフリカの政変に危機感を募らせたバーレーン政府は、各世帯に1000バーレーン・ディナール(約22万円)を支給する旨などを発表していたが、シーア派住民を懐柔するには不十分であった。

反体制デモ隊を主導するシーア派最大野党会派ウィファークは、憲法改正や議院内閣制の導入などを盛り込んだ真の立憲王制を目指すと同時に、ハリーファ首相を始めとする内閣総辞職を要求している。一方、バーレーン政府は湾岸協力会議(GCC)合同軍を国内に受け入れ、3カ月間の非常事態宣言を発令するなどデモ鎮圧強化の姿勢を見せた。これに対して、キャメロン首相は「弾圧ではなく改革を」と民主化による事態の収束を求めたが、依然として沈静化の兆しは見えてこない。

宗派間の政治抗争

社会的疎外感に苛まれるシーア派による反体制抗議活動は、これまでにも見られた。1994年から2000年まで続いた「バーレーンのインティファーダ(民衆蜂起)」は、ロンドンを拠点とするイラン支援の政治団体「バーレーン解放運動」が中心となり、シーア派の人権保護や1973年における立憲制度の復活などを求めていた。事態の収束に向けた動きは、1999年のハマド新国王の即位以降に見られ始め、2002年には下院議会選挙の導入と独立司法機関の設置などを盛り込んだ立憲王制が導入された。

ところが、同立憲制度には、王家選任上院議員に対する同等の立法権などが組み込まれており、真の議会の成立にはならないと判断したシーア派や左派政党などが同年開催の議会選挙をボイコットするなど、その後もシーア派住民による反体制デモは定期的に見られた。また、2006年の議会選挙でシーア派議員が4割強の議席を獲得するなどのシーア派勢力の拡大により、警戒心を更に強めたスンニ派政府は、2010年10月の議会選挙直前、王制転覆罪容疑でシーア派議員20数名を拘束するなど強硬姿勢に乗り出した。こうして長年くすぶっていたシーア派住民の怒りは、北アフリカ政変という新たな火種によって一気に燃え上がった格好となった。

GCC諸国のパワー・バランス

民主化デモの波がバーレーンにも押し寄せたことで、湾岸産油国も新たな局面に直面している。隣国のスンニ派サウジアラビア政府は、自国のシーア派に対するバーレーン情勢の影響を阻止し、また湾岸におけるシーア派イラン勢力の介入を牽制するという観点からも警戒を強め、事態の推移を固唾を呑んで見守っている。一方、エジプトとサウジアラビアというこれまでの中東2大大国構造が揺らぎ始め、GCC全体の安全保障にも脅威が及びつつある今、小国カタールがその指導的な地位を確立すべく野心を露わにしている。英・仏の対リビア戦略にもいち早く軍事協力姿勢を示すなど、カタールが自国の存在感を高めることで欧米に対する発言力強化を図りつつあると見られる中、北アフリカの政変は同地域のパワー・バランスにも波風を立て始めたようだ。

The Gulf Cooperation Council(GCC)

湾岸協力会議。1981年5月発足。同加盟国は、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、サウジアラビア、オマーン、カタール、クウェートの6カ国。本部はリヤド(サウジ首都)で、議長国は毎年交代(今年はUAE)。イスラム教に則った行政制度を基本とする加盟国間の調和と協調を重視し、政治経済から各国の民間交流に至るまで、あらゆる分野における協力関係を強化することなどが目的。一方で、2009年にはGCC通貨統合に向けた同通貨評議会の設置場所(リヤドに決定)を巡り混乱が発生し、UAEが通貨統合への不参加を表明するなど、主導権争いも見られる。

(吉田智賀子)

 

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