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Mon, 23 December 2024

第13回 オールダス・ハックスリー

実験的手法で知られたイギリスの作家、ハックスリーの言葉である。経験に学べ、経 験こそ人生の師であるといった名言は少なくないが、これもその同類。ただし、出来事 に遭う体験を通して身につくところがなければ、そもそも「経験」とは認められないとし たところに妙味がある。

確かに、日々身にふりかかる出来事を、ただ受け身に流していたのでは、そこから得 られるものは何もない。学習もなく、成長もしない。逆に言えば、生きている限り、遭 遇する出来事は山のようにあっても、その体験から学び、身につくところまで達するよ うな真の「経験」は、意外に少ないということにもなる。

経験を積む、という。身になってこそ、積むと呼ぶに値する。そのような経験を積め ば、人は豊かになるだろう。先方からやって来る出来事を処するだけでなく、身につく 経験を求めて、こちらから出向く場合もある。留学はその典型だ。山や海でのキャンプ に子供を参加させるようなことも、貴重な経験から何がしかの学習効果を期待する親心 があればこそだろう。

だが、ハックスリーの慎重なところは、身にふりかかる出来事への処し方の大事を説 いても、出来事を起こせとは言わなかったことである。経験を求めて諸方に出向くばか りが、「経験」を得る近道であるとは限らないのである。

人は自分が体験した出来事の数を誇りがちだ。旅で訪れたあちこちの国の様子や、波 乱万丈の運命がもたらした事件のあれこれを自慢げに語ることは、気持よいに違いない。 だが、経験の豊かさとは、出来事の数ではないし、事件の大きさでもない。ささやかな 出来事からも、人生の糧となるような「経験」とすることは充分に可能なはずである。世 界漫遊をした人より、窓辺にじっと動かぬ人が「経験」が乏しいとは、言えないのである。

春の終わりからひと月近く旅をして、イギリスの我が家に戻ってきた時、隣家の庭先 の梨の木が小ぶりながらも鈴なりに実をつけているのを見つけて、ひどく感動したこと がある。春先に純白の花を噴き上げるように咲かせていた木が、命をはぐくみ続けて、 いつの間にか可憐な実を熟したことに、私は生きる同伴者の不断の努力を目の当たりに する気がして、人生を教わるように思った。旅の間、いろいろなものを見たし、人にも 会ったが、そのどれよりも、梨の実に得た感動の方が大きく、忘れがたいものとなった。

経験とは、所詮、人の身にふりかかり、その心が感受するものである。感性のキャン パス次第で、名画のような宝ともなれば、落書きにもなってしまうのではないだろうか。

 

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