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Fri, 20 December 2024

第21回 ウィリアム・シェークスピア

ウィリアム・シェークスピア

名言博覧会の巨艦シェークスピアの劇中、「お気に召すまま」からの一節である。ここ数回、女、そして男、或いは男女の性差を語った名言を扱ってきたが、その締め括りとして、シェークスピアに登場願うとしよう。

日本ではこの訳として、「この世は舞台。人間はみな役者」としてしまう場合があるようだが、ここはやはり「男も女も」という要素は忘れずにいてほしいものだ。心も身体も差があればこそ、あらゆる感情と心理のやりとりーー駆け引きや面当て、馴れ合い、凭(もた)れ合いにしっぺ返しなど、悉(ことごと)くはみな、男女の間に生じる摩訶不思議な磁力なのである。それらが人生の綾をなし、喜怒哀楽、幸不幸も、とどのつまりはここに発しここに極まる。

実は劇中のセリフでは、この後、人生を7つの幕に分けて、赤ん坊から、老いによって再び赤子状態に回帰するまでの各段階が述べられるが、喜劇調の長口上よりも、冒頭に置かれたこの短い2行の方が遥かに深く、人生の真理を穿(うが)っている。

芝居には、筋からセリフまでを決める劇作家がおり、舞台のすべてを司る演出家がいる。いや、具体的なそれらの存在を超えて、劇そのものの織り成す運命や命の律動がある。人の人生もまた然り。男女の愛憎劇はもとより、人が生き、事をなす行動、活動のすべては、己自身はどれほど一生懸命に、全身全霊で打ち込んだとしても、それはどこか大いなる運命の神の掌の上で躍らされているようなものなのだ。しかもそれは、男も女も、おしなべて従わざるを得ない宿命なのである。その意味では、人としての道に、男女の差などない。

男女の違いを述べた「名言」には、どこか相手の性をなじるというか、殊更に差を言い立てて鬱憤を晴らすといった、尻の穴の小さいところがなきしもあらずなのだが、そこへ行くと、さすがにシェークスピア、宇宙的な運命論のなかに男女ともに解放させている。我らの魂が肉体を離れて、星座の神々に見守られながら、星々のきらめきに満ちた宇宙を遊泳するようではないか。この大きさは、全くシェークスピア独自の世界である。

身近なところに、似た言葉を見つけた。「天に軌道のある如く、人はそれぞれ運命というものを持っております」--。寅さん十八番の啖呵売(たんかばい)の名セリフだが、ここに漂う東洋風の諦念は、シェークスピアには無縁だ。どこまでも己自身を貫き、個々の生を燃焼させる。たとえ、運命の糸に操られる身であっても、ぎりぎりのところまで獅子奮迅の努力を続けてやまないのだ。この名言には、激しく燃えた後の熾(お)きを見るような、叡智の静けさが満ちている。

 

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