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Fri, 20 December 2024

第26回 バートランド・ラッセル

バートランド・ラッセル

愛国心について厳しく断じたラッセルの言葉である。

さて、少々偏屈に聞こえるかもしれないが、私はオリンピックやサッカーのワールドカップなど、人々が熱狂し、愛国心が躍るような国際スポーツ大会が苦手である。以前にメディアの手伝いをしていた時期があって、ソウル・オリンピックの日本取材班に同行、現地で中継放送のアシスタントとして働いた。世界の若者たちが集う開会式には感動に胸を熱くしたが、いざ競技が始まると、会場に陣取った一部応援団の過剰なまでの自国選手への応援ぶりに、鼻白む思いがしてならなかった。

とにかく、同胞選手の応援にのみ躍起となって、相手方であれ、ファインプレイには拍手を送るという懐の広い姿勢が、なんとも薄い。しばしば露骨な愛国心が火を噴く現場に身を置いて、私は「平和の祭典」が抱える一面に、とまどいを覚えざるを得なかった。

愛国心というものは、厄介なものである。人が自分の生まれ育った郷里を愛し、誇りにも感じることに、私は疑義を挟む気持などない。その延長として、祖国に抱く素朴な愛情についても、微笑をもって眺めることができる。私自身、異郷に暮らしていれば、故国日本に対して、日本に住む日本人以上に、純化された愛を感じることもある。だが、この素朴で穏やかな愛国心が過熱し、牙を他国や他民族に向け始めると、もういけない。祖国愛の名のもとに憎悪と暴力が吹き荒れたおぞましい狂気を、歴史は何度も見てきたのだ。

数学者にして哲学者、20世紀のイギリスを代表する知の巨人であったラッセルは、平和運動に尽くした人でもあった。1955年には、死の床にあった知友・アインシュタインとともに、核廃絶を訴える共同宣言を発表、世界の良心に訴えた。殺し合い以外の何物でもない戦争に、愛国心が煽られ、利用されるという現実に、さぞや心を痛めたのだろう。今回の言葉は、なるほど数学者らしく、曖昧さを切り捨てた明白な断言であり、そこに、ラッセルの怒りの深さと平和を希求する確固たる信念を聞くことができる気がする。

社会主義に傾倒しながら、ソ連には批判的であり続けるなど、ラッセルの目は曇りなく、発言には冷厳なリアリズムが脈打っていた。愛情というものはいつかは醒めるものだと公言し、4度の結婚をしたことも、ラッセルらしい信念の貫き方であったろう。もっとも、結婚は二人の愛と合意があれば成立するが、戦争を生む愛国心を巡る厄介さは、ラッセル個人の想いだけでは如何ともしがたいものだった。いつか、ラッセルのこの言葉が、現在形の「is」から過去形の「was」となる日を、願わずにはいられない。

 

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