名言というものは、決して長い言葉ではない。多くは短い言葉のなかに、光り輝くような真実を凝縮させる。警句や人生訓が多いとはいえ、時に、驚くほどの深い思想を湛える場合がある。言葉というものが、これほどに魂を揺さぶる力を有することを改めて思い知らされる。ここにとりあげた詩人兼画家のウィリアム・ブレークの言葉は、まさにそのような至宝である。
愛の微笑みは、無垢で美しい。しかし、微笑みがいつも無垢であるとは限らない。方便、追従(ついしょう)の作り笑いはもとより、微笑みの仮面の下で、人を利用し、騙しもするのが人間である。生まれた時には無垢であったものが、経験を積み、欲望渦巻く人間社会の海を泳ぎわたるに従って、どうしたって世塵と汚濁にまみれてくる。皺ひとつないまっさらな白布に、次第に皺がより、染みがつくようなものだ。気がつけば、いつしか自分も歳を重ね、人に傷つき人を傷つけ、賢くも愚かしい人の世の只中に立っている。
欺瞞に遭えば絶望もする。不正を見れば怒りもする。孤独と不安は離れない。だが、失意を埋めるのに、憎しみをもってしてはならない。嫌悪や憤怒、敵愾心(てきがいしん)など、毒を持ち棘のある黒い感情は、失意を上塗りし、更なる憂苦をもたらすだけだ。
哀しみを埋めるものはただ、黒い感情を超越した大きな愛だけである。気高くも熱い、無償の愛だけが人を人から救い得る。すべての色が集まれば白色になるというが、様々な人生の色模様を染みつけられた白布が、ふたたび本来の純白に輝き、光に満ちた浄福に導かれるのである。ブレークの言うふたつの微笑みが交わる微笑みとは、そのような高い次元に結晶した赦(ゆる)しの愛が生む微笑みであろう。人の愚かしさ、至らなさ、おぞましさを熟知した上で、なおも人は素晴らしいとする、至高の人間愛が微笑むのである。
そのような微笑みを、微笑みのなかの微笑みとして語ったブレークの言葉は、自己に課した生きる覚悟のようにも聞こえる。自分は愛を磨いて、そのような境地に人を見、人間社会を眺めるのだという詩人の決意とも思われる。
ブレークは生前、ほとんど理解者を得られぬまま、ロンドンの陋巷(ろうこう)に暮らした。自作の詩に版画挿絵を添えて幾度か出版をしたが、生涯、赤貧から抜けられなかった。その人が、他者に対してこのような暖かくも高貴な眼差しを持ち続けたのである。その人間愛の深さ、その言葉が内包した思想の深さ、そして熱さに、私は時を超えて感服し、脱帽せざるを得ない。
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