借金のかたに要求した1ポンドの肉に対して、血を流さずに取れるなら取れとした名裁きで知られる「ヴェニスの商人(The Merchant of Venice)」。「恋は盲目」とは幾度となく耳にしていながら、シェークスピアのこの劇に登場するとは、なかなかに気がつかないものだ。
さて、この名言の考えるポイントは、どのような人物がこのセリフを口にしたかという点である。すなわち、一見予想されるような、恋の思い出もカビが生えるほどの過去形となり、髪や歯とともに色気もすっかり抜け落ちて、今や皺枯れた声で説教臭いお小言を垂れるのを日課とする老人の口から出た言葉ではないという点である。セリフの主は金貸しシャイロックの娘ジェシカであり、青春を生きる彼女は、燃えるような恋の只中にある。
つまり「恋は盲目」とは、盲目だから用心しろ、慎みなさいというネガティヴな諌(いさ)めの言葉ではなく、恋する者の特権を大胆にも自ら謳歌したポジティヴこの上ない言葉なのである。恋をしているのだもの、世間を統(す)べる物指しなんて私たちには通じないわと、熱い血潮のめぐるまま、胸を張るようにして放たれた、高らかな「解放宣言」なのである。
このような言葉を発するジェシカは、溌剌とした利発な娘に違いない。何しろ、盲目=見えないと嘯く本人には、恋というものの本質がいともクリアーに見えている。理性の目は、「follies(愚かなこと)」をきちんと見分けている。それでいて、恋という情念が翼を得れば、どこまでも天翔(あま)がけるしかないということを、この娘は身をもって知っているのだ。
シャイロックはユダヤ人であるから、通常はその娘もユダヤ教を奉じて、その信徒と結婚するのが決められた道である。しかし、ジェシカが選んだ恋の相手はキリスト教徒であった。ユダヤの娘はユダヤ教を捨ててまで、恋に走る。父シャイロックはユダヤの掟に縛られているが、恋する者の自由の翼を得た娘に、古い掟は通じない。
そう考えれば、この言葉は天下堂々の恋愛宣言、大胆不敵な恋のオマージュとなろう。恋の盲目を言いながら、視界は広々、すかっと開けて、爽やかささえ感じさせる。しかも、若い女性の側からというところが、なかなかに今日的でいい。
おそらく、恋する者だけが口にすることのできる名言が存在するのだと思う。恋が特権的に与える自由は、思慕の情をかきたてるだけでなく、想いにも翼を与えて、言葉に泉を恵むのであろう。「恋におちたシェークスピア」という映画があったが、名言博覧会を地で行く演劇界の巨星は、やはり恋の悦びを熟知した男だったという気がしてならないのである。
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