国際的に見て、日本人はいかにも謙遜を知りぬいた民族に見える。まるで、持って生まれた人間の性格の一部であるように、自然にへりくだり、控え目な発言と態度に終始する。日本人は謙遜の天才である。だが、それでいて、アディソンの言葉は、妙に心に引っかかる。謙遜にも真贋があるとして、その差を問うアディソンの姿勢は、謙遜に馴染んだはずの日本人の私の歩みをとめ、しばし足元を確かめるような思索に追い込む。
確かに、ビジネスの現場のような金の絡む現場に於いてすら、日本人の物言いには、謙遜が滲む。相手をたてるような謙譲語は、挨拶にも等しい社交儀礼となる。デパートやホテルのように、客へのサービスが売り物のようなところでは、言葉遣いはもとより、お辞儀の角度まで、ぐっと丁寧の度合いを増す。日本人社会では、謙遜や謙譲は、人間関係の潤滑油の役割を果たす。
だが、それがアディソンの問う真実の謙遜かと訊かれると、どうも心もとない。一種の業界用語というか、会社のなかで着用を強いられたユニフォームのように見えなくもない気がする。心の底から、まさしくその人の人間性として発露されたものであるようにはなかなかに信じられない。
私の実家は東京の郊外だが、日本に里帰りすると、電車のなかで必ず角突き合わすような小競り合いやいがみ合いを見聞きする。謙遜などかけらもない、むしろその正反対の悪感情が噴き出ている。会社のなかで謙遜の上着を強いられた分、上着を脱ぎ、私服で外に出た途端、その反動で攻撃性が爆発してしまったようですらある。アディソンの語る「徳への裏切り」は、いまや日常の光景となりつつある。
アディソンは18世紀初の政治家であり、当時の代表的な文人でもあった。「ガリヴァー旅行記」のスウィフトの知友であり、詩や随筆で知られた。「慈悲は心でする徳、手でする徳にあらず」という言葉も残している。「徳(virtue)」というものが、大変に大切に扱われた。しかも、「慈悲」の言葉でもそうであるように、その真贋を真剣に問うた。
産業革命が始まる前のこの時代、人としての「徳」は大きな価値観を持っていた。しかし同時に、国力、経済力の伸張によって、既に綻びを見せ始めていた。真贋を問う二元論は、過渡期なればこそ発せられたとも言えるだろう。さて、元来はその本家本元のようであった日本で、謙遜はこれからどこへ行くのだろうか。上辺の愛想のよさだけは残りつつ、実の誠を失っていくのか。すべてが過渡期の日本、せめて真贋を問う見識だけは、社会の片隅に留まってほしく思うのだが……。
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