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Fri, 20 December 2024

第46回 ウォルター・バジョット

ウォルター・バジョット

一見すると、冒険家か何か、人跡未踏の極地を犬ぞりで駆ったり、地球をヨットで一周したり、アイガーの絶壁に挑みアルプス登頂を目指すなど、常人には真似のできない命懸けの挑戦をした人の言葉のように聞こえる。だが、この言葉を残したバジョットは経済学者であった。銀行家の息子として生まれ、35歳から死の年まで「エコノミスト」誌の編集長であったというから、根っからの経済の人であったと言えるだろう。

ビジネスとは、冒険家の精神が必要なものと思われる。英語でも、「enterprise」には「企業」の意だけでなく「進取の気性、冒険心」という意味もあるし、「adventure」には「冒険」だけでなく、「商業的投機」の意味もある。他人とは違う発想やメソッドを持ち得ればこそ、商機も訪れよう。経済人の名言が、冒険家の口から発せられたように聞こえるのも、故なしとはしない。

しかし、バジョットがここで述べようとした精神は、経済に留まるものではあるまい。広く、人間の行いについて、他人(ひと)にはできないことをやれと、自分自身の成功を括るように言葉にしたと思われる。無論、言葉の背景には、個の尊重がある。この国の精神土壌に根づく個人主義が、しかと息づいている。確かに、他人から白い目を向けられようと、自分の信ずる道を真っ直ぐに進む――、これは真に尊い。どれほど地味な、他人の目に触れぬ事柄であろうと、ひたむきに続けられる努力は、尊くも美しい。

だが、ここには少々異なる要素が割り込んでいる。喜びは、こつこつと自分の信じることをやり遂げることにあるとするのではなく、他人からできないと言われたことを成し遂げた時に感じるというのである。そこでは他人の目、他人の口があって、初めて自分が成立する。つまりは、他者あってこその自己という関係が、この言葉を呑み込んでいる。

日本の政治家でこの言葉を座右の銘にする人がいて、ホームページでも金科玉条のように扱っているが、ノーテンキというか、安直なヒロイズムに酔っているような印象が拭えない。政治家は、他人の目があってこそ行動の緒に就くものなのかと、暗澹たる思いにもなる。他人にできないと言われたから事を起こすようでは、情けない。自分がやらねばならぬことは、他人の目や思惑を超越しているがよい。それが成就した時、結果として、他人には追随できぬこととなっているようなら、それが最も望ましい。バジョットの発言は、その言葉を生んだ個人主義の土壌を尊びつつ、その言葉を受け取る個々人が、接木(つぎき)をするように、思想を深くしていくようでなければ危うい。

 

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