ケーブルの演説
自由民主党のビンス・ケーブル・ビジネス・改革・技術相は、9月22日のリバプールでの党大会で、銀行の経営者のことを「巨額のボーナスを手にしながら、英国経済に打撃を与えた悪人とギャンブラー」と痛烈に批判した。国民の気持ちを代弁したとして自由民主党の支持率回復に寄与したと見られている。
しかし最近、大手銀行グループの代表に、まさにその「悪人」が就任することが相次いで発表された。すなわち、伝統的な商業銀行部門(預金と貸出で稼ぐ部門)ではなく、投資銀行部門 (市場による株式や債券での資金調達の仲介手数料、売買手数料、投資物件を見合いにした証券の発行=証券化による手数料、企業やファンドへの投資などで稼ぐ部門のこと。「インベストメント・バンク」とも呼ぶ)の出身者である。バークレイズ・グループは投資銀行のバークレイズ・キャピタルのCEOを務めるロバート・ダイアモンド氏、HSBCグループは投資銀行部門責任者のスチュアート・ガリバー氏だ。
そもそもこうした投資銀行部門がサブプライム・ローンを証券化して販売し、その他企業の倒産リスクに対する保証を証券化して売買そして転々流通させることによってリスクが顕現化したときに、投資銀行やその持ち株会社が大きな損を被った。こうした投資銀行の幹部の年収は円換算で億単位であったし、筆者の経験では、それはそれはゴージャスなパーティーが、ロンドンのホテルやホール、バブルな日本食レストラン、果てはお城やナショナル・ギャラリーなどの美術館でも毎晩繰り広げられていた。ケーブル氏に言わせると、懲りない「悪人の復活」となるのではないか。
ボルカー・ルール
米国は、欧州や英国と事情が少し異なる。同国では、預金という期間が不定または短いお金を預金者から預かり決済業務を担いつつ比較的長めの資金を企業に貸し出す商業銀行=バンクと、投資家の資金を市場または企業につなぐ手数料で稼ぐ証券会社=インベストメント・バンクは、法律により裁然と業務分野が分けられている。
ただ金融自由化の中で、米国でも持株会社の下に銀行と証券会社を共に持つことが許容されるようになった。銀行の低所得者向けサブプライム・ローンを証券会社が市場で売ったまでは良かったが、その最劣後部分(倒産があると保護を受けられない部分)を銀行または証券会社自らが買っていたため、大きな損をグループ全体で抱えてしまった。この反省から、ボルカー前米連邦準備制度理事会(FRB)議長の提案を受け、米国では銀行は証券会社が扱うようなリスクの高い証券化商品への投資を禁止し、銀行と証券会社の間の情報のやり取りも厳しく規制するという法案が通った。
つまり、もともと米国では、投資銀行のゴールドマン・サックスやJPモルガンなどは大きな商業銀行を有しておらず業務分野のすみ分けができていたのだ。しかし、持株会社方式によってこの両部門が段々と相乗りになってきた頃に、ボルカー・ルールによって、再びやや厳し目に峻別する方向にかじを切った形になっている。
銀行でも証券会社でもなく
米国の持株会社方式と、英国や欧州のように一つの会社で銀行部門と証券会社部門を兼営することが認められているユニバーサル方式のいずれが優れているのか。実はボルカー・ルールを持ってしても、持株会社の下にある以上、銀行と証券会社の区別を行う意義は、リスクが双方に及びうるので限定的である。その意味では、持株会社方式とユニバーサル方式に大差はない。問題は銀行と証券会社はなぜ違うのかであって、その点の議論が当局でもあまりなされていないように思う。
その答えは、銀行は預金という短期の借り入れが原資だということである。だから銀行預金は通貨として使われている。一方の証券会社の仕事は、お金を預かるが、これは投資のためのもので、右から左にお金を流す手数料を取るに過ぎない。証券会社の自己投資もあるが限られている。
決済が滞って通貨が機能しなくなるため、銀行をつぶすのは難しい。ボルカー・ルールで大きい銀行もつぶす手順を定めたが、実際にはまず無理である。社会的な混乱が大きすぎるからだ。行うべきは、銀行以外の企業やNPO、個人へ金融業務を開放し、銀行の通貨独占を崩すことであろう。金融行政はこうした発想をすべきであり、銀行と証券会社という業態のすみ分けの問題よりも通貨のあり方に関する論議がもっとなされていい。悪人が復活するかどうかよりも、銀行の通貨独占という制度の問題こそ、悪人とギャンブラー問題の処方箋である。
(2010年10月11日脱稿)
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