鷹と龍と象
中国の経済面での成長と影響力が日増しに高まっていることから、欧米の警戒も日々強まってきている。中国人も今までは「まだまだ自分たちは、日本や西欧には及びもつかない」と控えめな態度であったが、最近ではコンプレックスの裏返しとも言える傲慢な態度を取る人が増えてきた。国際会議などで、鷹の米国と龍の中国が対峙する様は、米ソの対立の再来を思わせる。この動きに呼応するように、「中国は、米国や往時のソ連のような大国の品格と寛容を持つべきだ」との考え方が各紙に書かれている。
国家の品格と寛容は、関係国が容易には追いつけないほど大きな政治力、軍事力、経済力を持つ超大国が見せるものであって、拮抗している状態では必ずしも期待できない。期待するとすれば、為政者の人徳というものである。過去には外国の要人たちからの尊敬を集めた周恩来(しゅうおんらい)という人がいたが、彼でも国内的な権力基盤維持のためには、いろいろな政治的な手管を使わざるを得なかったと言われている。
尖閣諸島の問題や最近の反日デモも、胡錦濤(こきんとう)氏から習近平(しゅうきんぺい)氏への権力委譲を前に、土地バブルなどにより拡大する貧富の格差や企業での不正、役人の蓄財などで鬱屈(うっくつ)する民衆の不満を外に向けるためのものとの見方が専らである。中国と対抗するように10月、象のインド・シン首相は、経済連携協定(EPA)を結ぶために日本を訪問し、さらにはベトナムなど中国を警戒する諸国を相次いで暦訪する。パワー・ポリティクスの時代の再来と言えよう。
鷹の経済
こうしたポリティクスの行方に影響があるのが、経済情勢だ。本欄で繰り返し指摘したように、米国の経済では、不良債権問題が未解決のままである。住宅ローンの支払い延滞は解消されておらず、債権回収業者の住宅差し押さえに対する批判が相次いでいる有様だ。差し押さえ業者の瑣末な手続きミスがロボサイン(内容を確認しない機械的な署名や捺印)だと批判され、債権回収業者が住宅差し押さえを凍結するという異常事態が全米に広がっている。住宅を奪うことについては批判が非常に強く、銀行は住宅ローンなど消費者ローンに一段と慎重姿勢を示し、これが消費の盛り上がりを抑えている。さらに米国民の年間貯蓄額は、足許では約7000億ドルとサブプライム以前の倍だ。米国の消費が盛り上がらない訳である。
連邦準備制度(FRB)は、今回は本気で金融緩和をすると言っている。米国の金融指標をみても、このままでは米国の金利が再上昇するのは少なくとも来年は無理で、再来年も後半になりそうである。オバマ政権の11月の中間選挙での敗北は確実になってきた。苦境の即効薬は、元や円相場の切り上げである。欧州でユーロ高の状況下、ドイツ経済は絶好調(その分、他国は苦しい状況にあるが)であり、米国もマイルドなドル安ならOKということだろう。
龍の戦略と運命共同体
中国は日本のバブルを研究するなどして、不動産バブルの崩壊だけは避けたいと考えている。5~7月には沿海部での不動産取引が非常に低調になったが、現在では落ち込みは回復しつつあり、共産党の持続的な成長を維持しながら、バブルを少しずつ冷やしていく政策の第1段階は奏功しつつある。けれどもバブルを経験した日本から言えば、そうした政府のコントロールが、逆にマグマをため込ませて、より一段と深い調整のためのリスクを市場に負わせるという側面がある。日本人と異なり中国民衆はデモ、抗議活動としての散歩、ネットで意思表示をし出している。不動産価格を起点とする経済の調整のリスクを市場が警戒する状況が続くであろう。
人民元については、米国からの圧力ではなく、国内情勢を見極めつつ自主的に切り上げることは間違いない。その結果、鷹と龍とは経済的には実は不可分の運命共同体になっていくと認識することが重要だ。グローバリゼーションは、貿易と金融と政治を通じて世界経済を同期させ、運命共同体にしてしまう。米ソは政治軍事的には運命共同体であったが、経済は別物だった。米中は政治軍事的にはもちろん、経済的にも運命共同体である。
欧州や日本、アジア諸国は、それを前提に運命共同体と付き合いつつも(付き合わないと生きてはいけない)、彼らの経済、政治の大きな振り子に巻き込まれないという知恵が必要になる。第一次大戦前からの米国のモンロー主義のような孤立主義はもはや不可能だが、非超大国は今こそ自主独立のための備えをすべきであろう。次回は欧州や日本の知恵について考えたい。
(2010年10月27日脱稿)
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