ベルルスコーニの不思議
東日本大震災やそれに続く原発事故が発生して以降、日本人は、いかに復興するか、原発問題をどう収束させるか、電力不足をどうするかを問われ続けている。そうした課題をめぐって政治的な混乱が起きている中ではどうも暗い気持ちになりがちで、前向きな思考が湧き出てくる感じではない。ややもすれば制約の増加、我慢という発想に向かいがちのように思う。そうしたとき、欧州において不思議に思うこ とがある。それは、イタリア人の生き方だ。
各種の疑惑や問題発言のせいで、イタリアのベルルスコーニ首相が率いる内閣支持率は過去最低の32%まで落ちている(菅首相の17%より高いが)。イタリア国内ではもちろん批判が強いし、今年ウィキリークスが暴露した米国政府の内部文書では、「無責任で虚栄心が強く、現代欧州の首脳として無意味」と酷評されている。経済成長率も欧州平均を相当下回っていて英国、フランスよりも低く、失業率はフランスに次いで高い。しかし、それでも政権は延命を続けている。
もちろん、彼は、民放テレビ4局のうち3局を経営しているから、批判をさせないのかもしれない。これらの局では、日本や英国では考えられないような、主婦のストリップまがいの番組を放映している。「風雲! たけし城」をより過激にしたような番組まである。こうした番組を通じて、国民の目を政治経済など現実問題からそらしている、と批判する声が一部で上がっている。しかし、イタリアの友人たちは「いや、彼は人間くさい。誰だって男は美人が好きだし、失言もするさ」と言うのだ。
イタリアが原発にNO
6月13日には、イタリアで原子力発電再開の是非などを問う国民投票が開催された。結果は反対票が94.53%となり、原発を推進してきたベルルスコーニ首相は、投票締め切り前に敗北を認めた。イタリアの友人に尋ねると、「No」に投票したという。それでもイタリアの電力事情は全体の10%近くを原子力発電に頼っているじゃないかと問うと、「フランスから買えば良い」と言う。「それは無責任ではないのか」と聞けば、「でもフランスは売りたがっているんだよ」。「でもフランスが売らないといったら?」と言えば、「そのときは、ワインを飲んで早く女と寝ればいいじゃないか」。唖然(あぜん)として、その後は言うことがなかった。原発投票は、ベルルスコーニの巧妙なスキャンダル隠しという意見も新聞では見られる。それでも、イタリア国民が彼に憎めなさを感じるのはその国民性なのか。
経済も建前や公式通りに収まり切らないところに、ある意味で懐の深さがある。イタリア経済の実態を、表面の数字のみからつかむことはできない。公式統計から、イタリア北部にある工業系の中小企業の実力が相当なものだと分かるが、その実力は統計に出ないデザイン力だ。世界各国の工場で使う生産機械などはドイツ、スイス製と並んでイタリア製が非常に多い。またミラノやボローニャでは、デザインは イタリアで行い、実際の生産はアジア諸国に下請けに出すスタイルでの家内工業的な中小企業や企業組合が多くある。
ただ、注目すべきは地下経済だ。下表にあるように、政府統計に表れない地下経済が、推計で全体の28%近くを占めている。
まじめと楽天的
日本人のまじめできっちり課題に取り組む姿勢それ自体に問題はないが、もう少し、楽天的な面があっても良いのだと思う。ベルルスコーニ氏が政治家として良いかどうかは別として、彼が体現するイタリア人的なものに学ぶべきは、楽天性と、生活の質及びその質の選択肢があることだろう。日本人は、何でも理想的な選択肢を作ろうとしがちだ。先進国であり続けられるかどうかの岐路に立つ日本は、イタリア的なものに学ぶこともあるのではないか。
■各国の地下経済の大きさ
(2011年6月28日脱稿)
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