第8回 北アイルランド紛争の呪縛
今年、主要国(G8)首脳会議が開かれ、血で血を洗う宗派対立からの「和解」を世界にアピールする政治的な舞台となるはずだった英国・北アイルランド。その中心都市ベルファストの市議会が昨年末、市庁舎での英国旗掲揚を制限することを決めたところ、英国統治の存続を主張してきたプロテスタント系過激派が若者を扇動して警官隊との衝突を繰り返す騒動に発展した。
これまでベルファスト市庁舎では一年中、「ユニオン・ジャック」と呼ばれる英国旗が掲げられていた。これに対し、カトリック系2大政党のシン・フェイン党と社会民主労働党が「英国旗を永久に掲げないこと」を要求、英国旗掲揚を求めるプロテスタント系2大政党の民主統一党、アルスター統一党と対立した。
市議会でのカトリック系とプロテスタント系の勢力は拮抗していたが、2011年の市議会選挙でカトリック系が計24議席を獲得、計18議席のプロテスタント系を圧倒するようになった。
このため、6議席を持つ中立の北アイルランド同盟党が北アイルランド平等委員会の意見を取り入れて、英国旗掲揚をエリザベス女王の誕生日など年18日に制限することを提案。カトリック系の支持を得て、昨年12月3日に市議会で可決された。
収まらなかったのがプロテスタント系過激派だ。「英国旗掲揚を制限することはアイデンティティーへの攻撃だ。英国からの分離を求めるナショナリスト(カトリック系)が我々の文化を消し去ろうとしている」と不満を爆発させた。
1922年にアイルランドが英連邦内の自治領になった際、北アイルランドは英国に帰属、多数派のプロテスタント系が支配的地位を占めた。このため、英国からの分離を求める少数派のカトリック系とプロテスタント系の宗派対立が先鋭化。1998年、北アイルランドの帰属を住民の意思に委ねる包括和平合意「聖金曜日協定(ベルファスト合意)」が調印され、北アイルランド紛争は大きな節目を迎えたが、犠牲者は約3500人に上った。
同紛争ではカトリック系住民が警官隊と衝突するのが日常的な光景だったが、今回の騒動では、プロテスタント系住民が火炎瓶やロケット花火、ガレキなどで警官隊を攻撃している。既に100人以上が逮捕され、警官数十人が負傷。英国旗掲揚制限のキャスティング・ボートを握った北アイルランド同盟党や社会民主労働党が標的にされ、市議宅にプラスチック弾が撃ち込まれたり、市議に対して殺害予告が行われたりする事態に発展している。プロテスタント系準軍事組織が、学業を修了せず、仕事にあぶれて右傾化する若者や10代の少年をソーシャル・メディアのフェイスブックやツイッターで駆り出しているのが特徴だ。
かつては北アイルランドの人口の3分の2をプロテスタント系が占めたが、昨年の国勢調査では、プロテスタント系が48%、カトリック系は45%とその差は急速に縮まっている。
アルスター大学のジョニー・バーン講師(犯罪学、政治、社会政策)は「背景には、政治や社会の意思決定から自分たちだけが取り残されているというプロテスタント系労働者階級や下層階級の不満が横たわっている。極めて少数派だが、動員力を持った危険なグループで、プロテスタント系2大政党が自分たちの気持ちを代弁してくれているとは思っていない」と指摘する。
北アイルランドにはベルファストを中心にプロテスタント系とカトリック系の居住区を分断する「平和の壁」が約90カ所に設置されている。バーン講師らが昨年、実施したアンケートでは、壁の近くで暮らす住民の69%が暴力の復活を恐れて「壁はまだ必要だ」と回答していた。恐怖と不信が北アイルランド和平の現実なのかもしれない。
プロテスタント系2大政党は当初、4万枚のリーフレットを作成して、カトリック系の支持に回った北アイルランド同盟党を非難した。英国旗掲揚制限をめぐる騒動は、宗派間の対立に容易に火がつくことを改めて浮き彫りにした。政治家は政治的影響力を強めるため、「分断」の言葉を弄して宗派や民族の対立をあおるのではなく、「和解」の言葉を地道に積み重ねていく大切さを胸に刻むべきだろう。
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