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Sun, 24 November 2024

第76回 お散歩編:モダン・ピアノを育ててきたもの

先日、ある演奏家と旧ギルドホール音楽学校を訪れました。19世紀後半に建てられた音楽学校の円形窓の上部には、英国を代表する5人の作曲家(タリス、ギボンズ、パーセル、アーン、ベネット)の名前が彫られています。惜しむらくは、著名な古典派やロマン派の作曲家は欧州大陸出身者ばかりで英国人が見当たりません。17世紀半ばの清教徒革命で音楽鑑賞を抑圧し、音楽家を国外追放したことがその原因と言われます。

旧ギルドホール音楽学校校舎
旧ギルドホール音楽学校校舎

すると演奏家が「でも、その後のモダン・ピアノは英国の技術革新の上に発展してきたのですよ」。えっ、音楽家が育っていなかった英国でモダン・ピアノが生まれたのですか? それならばその発祥地を訪れましょう、とロンドン西部の繁華街、ハノーバー・スクエアに向かいました。確かにこの周辺にはドイツ生まれの作曲家ヘンデルの住居や演奏会場だったハノーバー・スクエア・ルームズ、王立音楽アカデミーの発祥地などがあります。

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ハノーバー・スクエア・ルームズは 19世紀ロンドンの代表的演奏会場

18世紀初頭に建設されたハノーバー・スクエアは、ハノーバー家の王位継承を可能にした1714年の王位継承法を支持した貴族の住居地区。ハノーバー宮廷楽長だったヘンデルは、英国公演の人気に気を良くして移住を決意、やがてこの近くに引っ越してきます。さらに七年戦争(1756~1763年)を逃れてたくさんの楽器職人がドイツから亡命。その中の一人、楽器職人のヨハネス・ツンペがクラビコードを発展させて小型のスクエア・ピアノを作り、人気を博します。

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ツンペのピアノ工房があった場所

それまでのピアノはハンマーを軽く跳ね上げるウィーン方式でしたが、彼は下から突き上げる英国方式に変えました。J・S・バッハの末子、ヨハン・クリスチャン・バッハは在英生活が長く、このピアノを愛用。訪ねてきたモーツァルト少年を膝の上に乗せて演奏を披露したと言いま す。さらにフランス革命で楽器職人、セバスチャン・エラールが近くに工房を移転。彼のダブル・エスケープメント装置は、ピアノの迅速な連打を可能にしました。

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百貨店リバティの斜め前に工房を構えたエラール

実はこうしたピアノの技術革新の背後にいたのが、豊かな旋律と音域を求め続けた音楽家ベートーベン。彼の曲の変遷はピアノの技術革新の歴史です。思えば彼が「第九」を作ったのは英国の依頼。ハイドン、メンデルスゾーン、ドボルザークらも多くの曲作りを英国から依頼され、英国で演奏しました。古典派やロマン派の作曲家に英国人が不在というより、国際レベルで音楽を育ててきたのが英国と言えるかもしれません。

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ベートーベン「第九」の英国初演が行われたのは
リージェント・ストリート252番地

 

 

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『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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