第129回 シティの風向計と流れる雲
歴史パブ散策で案内するパブの一つに「コックピット」があります。コックピットはコック=雄鶏、ピット=囲いで、中世に流行した闘鶏場を意味し、店内の装飾のモチーフにもなっています。雄鶏は闘争心が激しく、雄同士が出会うと喧嘩によって上下関係を決めます。厳格なタテ社会を作り、ボスの雄鶏は鳴き声で群れを統率し、夜明けに鳴くのもボスが必ず最初。その後、格下の雄鶏が序列に応じて鳴き、その順番で雌鶏やエサも配分されます。
歴史パブの名は闘鶏場
鶏は夜明けを告げる鳥として古くから神聖視され、特にローマ帝国では9世紀に教会の頂きに鶏型の風向計を据えるよう法王から指示が出されました。これはキリストの弟子ペテロがキリストを3度否認した際、雄鶏の鳴き声を聞いてその罪に気付いたという聖書の逸話に由来します。日本では16世紀にキリスト教が伝わって以来、教会の風向計=風見鶏と思う人が多いかもしれません。しかし宗教改革をくぐり抜けた英国では異なります。
風向計が雄鶏の形のままではカトリックの影響が残ると考えたのか、英国国教会の教会では太陽や星、旗をかたどった矢印など自然科学に関わりのある題材の風向計が使われます。また、シティの古い建物の多くにもその由来を示すために趣向を凝らした風向計が設置されており、その各形の意味を探求するのは非常に楽しいことです。例えば旧王立取引所の風向計は黄金のバッタですが、それは創始者トマス・グレシャムの紋章に由来します。
旧王立取引所には黄金のバッタ
かつて魚市場だったオールド・ビリングスゲート・マーケットの建物には黄金の魚。シティ屈指の聖メアリー・ル・ボウ教会にはシティの守り神、黄金のドラゴン。ロイズ・レジスターには黄金の帆船。インナー・テンプル法曹院にはペガサス。ミドル・テンプル法曹院には復活祭の羊と旗。旧ハドソンズ・ベイ社には黄金のビーバー。そして、とりわけ寅七のお気に入りはホワイトチャペル・ギャラリーのエラスムス像で、16世紀に彼が名著「痴愚神礼賛」を馬上で書いたという説話に由来します。
聖メアリー・ラ・ボウ教会には黄金のドラゴン
旧ハドソンズ・ベイ・カンパニーには黄金のビーバー
馬上のエラスムスは後向き
晴天続きだったロンドンの夏も終わり、たくさんの雲が空に流れるようになりました。緯度の高いロンドンでは雲の位置が低く、更に暖流のメキシコ湾海流と偏西風の影響で、秋から冬にかけて様々な形をした雲が速いスピードで流れていきます。変化に富んだ秋空には夏の思い出を乗せた雲が、まるで闘鶏場を逃げ出した雄鶏のように忙しく走り回りますが、こんなとき寅七は童心に返って、シティの風向計と流れる雲を追いかけて行くのです。