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Sat, 12 October 2024

第254回 マイル・エンド・ロードのクック船長宅

シティから東に延びるマイル・エンド・ロードを歩いていたら、薄汚れた壁にかかる記念碑を見つけました。そこにはクック船長ことジェームズ・クックが1764年から79年に事故で亡くなるまで住んだ自宅跡と書かれていました。クックは貧しい家庭に生まれながらも持ち前の強い意志と努力で海軍士官になり、カナダや太平洋諸島の海図を作って多くの島を発見し、また乗組員を壊血病から守った偉大なる海洋探検家です。

クック船長の家族が住んだ自宅跡クック船長の家族が住んだ自宅跡

もともとクックは、ノース・ヨークシャーのマートンという小さな村で1728年に生まれました。幼いころから父の野良仕事を手伝い、16歳で雑貨商の丁稚奉公に。そこで計算術を覚えましたが約2年で辞め、隣村のウィットビーで石炭運搬船の船乗りになります。そこで約9年間、航海術、天文学、三角測量を学ぶと今度は海軍に志願入隊しました。北海だけでなくもっと大きな海を見てみたいと思ったからだそうです。

クック船長クック船長

入隊後はカナダに派遣され、北大西洋の海霧と強風と極寒にも負けず、カナダの海図を完成させました。1762年、一時帰国したクックは石炭運搬船の船乗り時代に訪れていたシティの隣町、ワッピングにある宿屋「ベル」の娘エリザベスと結婚しました。ワッピングの「プロスペクト・オブ・ウィットビー」(ウィットビー村の石炭運搬船プロスペクト号)という歴史あるパブ名のとおり、当時は石炭運搬船がその近くに停泊していました。

歴史的なパブ「プロスペクト・オブ・ウィットビー」歴史的なパブ「プロスペクト・オブ・ウィットビー」

クックが慣れ親しんだウィットビー村の石炭運搬船はワッピングの対岸、デトフォード港でエンデバー号に改造されました。石炭運搬船は船底が浅いため座礁しにくく、大量の物資を運搬できるので長期の探検向きです。クックはエンデバー号を操船して1769年のタヒチ島での金星観測や太平洋諸島の探検に駆け回りました。航海は長期にわたり、マイル・エンド・ロードの家で家族と過ごす時間はあまりありませんでした。

石炭運搬船を改良したエンデバー号(グリニッジ海事博物館蔵)石炭運搬船を改良したエンデバー号(グリニッジ海事博物館蔵)

1779年、不幸にもハワイ島で起きた事故でクックは逝去しました。残された妻エリザベスには6人の子どもがいましたがいずれも若くして天国に行きました。一人残されたエリザベスはロンドン南部クラパムに引っ越し、形見となった指輪とブローチをいつも放さず、93歳まで生きました。残された財産はエリザベスの遺言で親戚と近くの貧しい人々に寄附されました。華々しく活躍したクックの記念碑は世界各国にありますが、このマイル・エンド・ロードの記念碑はひっそりとジェームズ・クックとエリザべスとその家族の愛に捧げられています。

クック船長の妻エリザベスクック船長の妻エリザベス

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シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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