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Fri, 20 December 2024

第42回 創刊と革命と激動と。

新しい年をみなさんは、どのように迎えただろうか。

私はロンドンの知人宅に赴き、数人で料理を囲み、年越しのテムズ川の花火大会はテレビで見た。そして、再び料理をつつきながら、朝まで話を続けた。「先行きの見えない不況はどうなるのだろう」とか、「新聞はどう変わるべきか」とか、そんなとりとめもない話である。

その後の数日間は、自宅で読書三昧だった。サスペンスから国際政治の専門書まで乱読である。その中に「創刊」( The Making of The Independent)という古い本があった。英国の高級紙「インディペンデント」の創刊までをドキュメント風に綴った1冊である。

インディペンデントが創刊されたのは、1986年10月のことだ。ちょうど私が今の会社で仕事を始めた年である。万事に保守的な英国においては、新聞界も例外ではなく、新しい高級紙が英国に登場したのは131年ぶりだったという。

創刊から4年後、インディペンデントの発行部数は「タイムズ」や「ガーディアン」と並び、約40万部に達した。現在は30万部以下まで部数を落としているとはいえ、主要日刊紙の地位は揺らいでいない。

創業の中心だったアンドレア・スミス氏は、「デーリー・テレグラフ」紙の経済編集長だった1985年初め、新しい新聞の創刊を考え始めた。実際の発刊のわずか1年余り前のことである。当時、テレグラフは不調で、日に日に部数を落とすような状態だった。テレグラフの再興策を会社側に提案し続けたスミス氏は、経営と紙面の双方にはびこる「新聞業界の保守主義」に絶望を深め、新たな新聞に賭けることにした。

彼の発想は、当時としては革命的だったのかもしれない。紙面は高齢化する一方の読者ではなく、若者を意識したものにすると宣言。1台で新聞1ページがレイアウトできるコンピューター端末を導入し、記事はオペレーターに代わって記者が直接入力する方式を採用した。

報道面では、記者発表に基づく記事を排除する方針も打ち出した。その理由を彼はこう語っている。

「記者会見への依存度を低くすればするほど、われわれは一生懸命働く必要に迫られる。記者は独自のニュース・ソースを開拓し、その関係を育てるなど、もっと記者本来の仕事をしなければならなくなる」

記者会見という言葉を「官公庁や大企業の発表もの」や「記者クラブ」などの言葉に置き換えれば、今の日本でも十分に通じる話である。

保守主義では英国の新聞に負けない日本の新聞業界でも、最近、大きな動きがあった。実物はまだ見ていないが、まさに革命的だと思う。産経新聞が昨年末から始めた「産経新聞iPhone版」のことだ。

アップル社の携帯端末「iPhone」か「iPod touch」を持っている人が専用アプリケーションを導入すれば、産経新聞がふつうの紙面のまま、全ページ無料でダウンロードできるという。画面が小さいとはいえ、手元操作で拡大縮小も自在。日本の知人によれば、記事を読むことに何の差し支えもないらしい。操作性などは、短期間で飛躍的に改善されるだろう。

これは本当にすごい。

新聞の配達に地域制限がなくなるのだ。地方紙が全国で読まれるようになるかもしれないし、その逆もあるかもしれない。

そして、何よりもすごいのは「有料紙の無料化」だ。産経新聞がこのサービスの無料配信をいつまで続けるのか不明だが、数年単位で続き、さらに他紙が追随するようなことがあれば、月極4000円程度の今の日刊紙は早晩、今の形では新聞を発行できなくなるに違いない。

日本新聞協会の調査では、80万部以上を発行する新聞社は総収入の30%が広告だ。これに対し、人件費は22%。荒っぽい計算だが、新聞の販売収入がゼロでも人件費は十分に賄うことができる。加えて、印刷費・配送費は大幅に削減される。「無料新聞」「電子新聞」の成否のカギは、そのへんにあるように思う。

いずれにしても、新聞業界にとって2009年は激動の年になるはずだ。もちろん、「報道」という仕事そのものが消えるわけではない。大波の中で自分はどっちに進むべきかをきちんと見極め、堂々と道を歩いていかねば、と言い聞かせている。

 

高田 昌幸:北海道新聞ロンドン駐在記者。1960年、高知県生まれ。86年、北海道新聞入社。2004年、北海道警察の裏金問題を追及した報道の取材班代表として、新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞を受賞。
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