ニュースダイジェストのグリーティング・カード
Fri, 22 November 2024

夏時間スタート前に浮かんだ素朴な疑問
グリニッジはなぜ経度ゼロなのか?

グリニッジ天文台

今年は3月25日(日)の午前1時に冬時間が終了し、グリニッジ標準時間(GMT)から時計の針を1時間進め、夏時間に移行する。さて、ここで問題。英国の標準時は、なぜロンドン郊外のグリニッジを起点としているのか。「そこにかつて天文台があったから」と答えることができたら、ひとまず正解。では、どうしてグリニッジに天文台が設置されたのだろう。そしてこの場所があたかも世界の中心であるかのように、経度0度に設定されている理由とは何か。そんな知っていそうで知らない、グリニッジにまつわる10の謎を探ってみた。

正式名称は「Royal Observatory, Greenwich」であるが、本特集では、一般的に使われている「グリニッジ王立天文台」という呼称を使用している。
写真提供 = National Maritime Museum/ Visit Greenwich

ニュースダイジェストの代行執筆・取材

Q1 経度とはそもそも何か?

日常の暮らしの中ではなかなか意識することのない、経度の存在。現在のようにスマートフォンもGPSも存在しなかった17世紀の後半は、経度の測定法をめぐって、各国の識者たちが熱い議論を交わしていた時代であった。後に飛行機が発明され、そして実用化されるまで、主な長距離の交通手段として利用されていた船による移動に際しては、緯度と経度の把握が必要とされていたからである。

だが海面に対する太陽や北極星の角度から計測できる緯度に対して、経度の測定は困難を極めた。地球は北極と南極を結ぶ線を軸として自転を繰り返しているために、経度を測るための定点となる目標物を見つけることができなかったからだ。その概念こそ広く知れ渡っていたものの実態がつかめない、という謎じみた経度の存在に、世界全体が悩まされていたのである。

経度赤道を0度と設定し、北極または南極を頂点とした上で地球上における南北の位置を示すのが緯度。一方でグリニッジ天文台を経度0度と定め、そこからの東西の距離を測る尺度となるのが経度である。

Q2 経度が分からないままでどのように航海したのか?

経度が発見されるまで、船乗りたちは目的地と同緯度線上となる地区を出発地として選んで、そのまま赤道と平行に進むようにして航海の旅に出ていたという。そうしなければ、船はたちまち海上の位置を見失い、遭難事故などの海上トラブルに発展したからである。このため、英国やスペインといった大国に乗り入れるための海路には貿易船、捕鯨船、そして軍艦などが殺到し、海上で混雑を起こしていた。またいつも予期された航路を利用する船は、海賊船の恰好の標的にもなったという。

こうした状況を克服しようと、独自の海路を開拓したのが「大航海時代」と呼ばれる15世紀以後を生きた冒険家たちであった。ただ、彼らも経度を正確に把握できていたわけではない。例えば、アメリカ大陸を発見した初めての欧州人として有名なクリストファー・コロンブスは、海水の水温や塩分の含有量に加えて、海底の地質そして周囲の景色などから、船の大体の位置を推測していたに過ぎなかった。

Q3 なぜグリニッジに天文台ができたのか?

チャールズ2世
グリニッジの地に天文台を
設置することを命じた
チャールズ2世

清教徒革命後に王政復古を遂げた英国の王、チャールズ2世もまた経度の測定法を重要な課題として認識していた1人であった。船による貿易が全盛期を迎えた17世紀後半を生きた彼は、英国の繁栄のために海上技術を発展させる必要性を痛感していたのである。

ちょうどそのころ、チャールズ2世は愛人であったフランス人女性ルイーズ・ケルアイユを通じて、経度の測定法に関するアイデアを持つというフランス人男性の話を耳にする。彼の話を聞いてみると、月とそのほかの星の位置関係から、経度を割り出すことができるという。この話に興味を持ったチャールズ2世はさっそく諮問会議を開いて意見を募ったところ、「理論的には可能であっても、天体の動きを把握できていない現状では実現不可能」と の解答が識者たちから戻ってきた。そこでチャールズ2世は天文台を設置し、天体の研究を直ちに開始するよう命じたのである。

王立天文台を設置する場所として選ばれたのは、当時、貿易港として繁栄を極めていた、ロンドン南東部のグリニッジ。またこの地は、当時チャールズ2世の宮殿が置かれていた場所でもあった。こうして1675年、チャールズ2世のお膝元にある一番見晴らしの良い丘の上に、初代責任者を務めるジョン・フラムスティードの名前が付けられた「フラムスティード・ハウス」が完成したのである。

フラムスティード・ハウスグリニッジ・パークの丘の上に位置するフラムスティード・ハウス。設計は、セント・ポール大聖堂を現在の姿に再建した建築家として名高い、クリストファー・レンによる。
フラムスティード・ハウス内オクタゴン・ルーム フラムスティード・ハウス内にある天体観測室「オクタゴン・ルーム」。望遠鏡をあらゆる角度に向けることができるように、窓が縦に長く設計されている。

Q4 グリニッジ天文台の設置によって経度は測定できたのか?

グリニッジ王立天文台の設置から数十年が過ぎても、経度の研究には目新しい進展は見られなかった。天体観測の技術に乏しい当時を生きた天文学者たちが365日にわたる星の動きを記録するためには、更に途方もないくらいに膨大な時間を費やす必要があった

そうした中、英国艦隊がイングランド南西部の沖合に位置するシリー沖諸島で座礁し、2000人以上の命が奪われるという事件が発生する。この知らせを聞いた英国政府はついにしびれを切らし、経度法(the Longitude Act)なる法律を制定。そして経度の測定法を考案した者には、2万ポンド(現代の約200万ポンドに相当)の賞金を贈呈する考えを発表した。

ニュースダイジェストの代行執筆・取材

Q5 経度は結局どう見つけたのか?

経度の測定法をめぐっては数多くの提案がなされたが、なかでも有力視されていたのが、「月とそのほかの星の位置関係を見る」ものと、「出発地と現在地の時間を比較する」という方法論であった。そして後者の可能性に賭けたのが、18世紀後半の英国で時計職人として働いていたヨークシャー出身のジョン・ハリソンである。

経度を測定するには、その時代の時計はあまりにも不正確であるという問題を抱えていた。特に海上においては、気温の変化によって金属部分が膨張または収縮するため、通常時よりも大きな狂いが生じる。更に当時の時計の多くが振り子の技術を使用していたのだが、この振り子の動くことのできるスペースを確保するため、狂いの少ない時計ほど、縦に長くなる傾向があった。しかしあまりに縦長の時計では船上に置くことさえ一苦労な上に、海上独特の揺れが振り子の仕組みそのものに悪影響を与える。そこでハリソンは振り子の技術を見限り、懐中時計の開発に尽力するようになる。

ハリソンが製作したH4
ハリソンが製作したH4。
現在でもグリニッジ王立天文台で
保存されている

いくつかの試作を経て、やがてハリソンは4作目であることから「H4」と名付けた懐中時計の開発に成功する。1763年に行われた実験では、6週間の航海で誤差はわずか5秒という結果が得られ、この時計の正確性が証明された。ハワイ諸島を発見した英国の海軍士官、キャプテン・クックもこのH4の性能には満足を示したという。またときを同じくして星座表やコンパスの製造技術も向上していき、これらの技術と合わせて経度はついに測定可能なものとなった。以後、英国の海洋技術は飛躍的に発展し、7つの海を支配する国となっていくのである。

冷遇されていたハリソン

H4の開発で後世に名を残したジョン・ハリソンだが、その功績に反して、当時は冷遇されていたという。特に天文学者ネビル・マスケリンらの嫌がらせともいえる行為には業を煮やしていたようだ。グリニッジ王立天文台の5代目責任者でもあったマスケリンは、月が運行する軌跡などを示した天体位置表を完成させており、自身の研究こそ経度の測定に利用されるべきであるとの信念を持っていた。経度法に基づく同測定法についての公募の審査員も兼任していた彼は、ハリソンからの申請案を却下。一方で審査委員会に提出されたH4本体の返却を拒否するなどの行為にまで及んでいる。

やがてハリソンのこうした不遇な状況が当時のイングランド王であるジョージ3世の耳に入り、これに同情を示した王の後押しなどによって、1773年になってようやく賞金の全額が受け渡されることになった。しかしハリソンは最後まで、グリニッジ王立天文台の関係者からの理解を得ることはなかったのである。

ジョン・ハリソン(左)と彼を敵視していたと伝えられるネビル・マスケリン(右)

17世紀前後に提案された経度測定法とその問題点

1. 出発地と現在地の時間を比較する 地球は1年間を通して、24時間で360度周るという自転を繰り返している。この法則を利用して、出発地の時刻と、太陽が最も高い位置にあるときを正午とすることで分かる海上の時刻とを比べる。両者の時差に、15(=360÷24)をかけた数字が、現在地が出発地からどれだけ離れているかを示す経度として算出できる。

[問題点]当時は正確な時計や船上での通信手段がまだ開発されていなかったために、長い航海において船内で出発地の時刻を把握することは不可能であった。

2. 月とその他の星の位置関係を見る チャールズ2世が採用した方法。まずは刻一刻と変化する、月と他の星々の位置関係を時間とともに出発地にて記録する。海上の夜空とこの記録を見比べれば、船の上でも出発地の時間を把握することができることになる。あとは太陽が最も高い位置にあるときを正午とすることで測定できる海上の時間と比較して、経度を算出する。

[問題点]当時はまだ正確な星座表がなかった。また悪天候など星が見えにくい状況になると、経度の測定そのものが不可能になる。

3. 北極星と磁石が示す方角のズレを見る 海上の船は通常、北極星の位置かまたは磁石が指し示す方向からどちらが北であるかを判断する。ところがこの両者が示す方角には実は微妙な差違があり、異なる経度によってこの違いの度合いもまた異なることが知られていた。この仕組みを利用して、逆に北極星と磁石が示す方角の偏差から経度を測定する。

[問題点]当時はまだ正確な方角を示す磁石がなかった。また偏差の計算法があまりに複雑であるため、実用的ではなかった。

4. 日食、月食が発生する時差を測る 日食や月食の発生時刻は、当時から予測することができた。このことを利用して、出発地における日食(または月食)の予定時刻との時間差から経度を測ることができる。

[問題点]日食、月食が発生する頻度があまりに少ない。

5. 魔法の粉をナイフにまぶす 犬に傷を与えたナイフにまぶすと、過去にそのナイフによって傷を負った犬がもう一度痛みを感じるという魔法の粉。この粉を使用し、船に同乗した犬に特定の時刻にうめき声を上げさせることで出発地の時間を把握し、海上との時差から経度を測る。

[問題点]誰もその「魔法の粉」の実物の存在を確かめた者はいなかった。

6. 海上で次々と花火を打ち上げる 18世紀にケンブリッジ大学で数学教授を務めていたウィリアム・ウィストンが「ガーディアン」紙などに発表した案。海上に一定区間を空けて停泊した船が、各地で午前0時きっかりに花火を打ち上げる。それぞれの時差から経度を測る。

[問題点]ほとんどの海域では海底がいかりを下ろせないほど深いために、一定区間ごとに船を停泊させることができない。

7. 木星の衛星の動きを見る イタリア人学者のガリレオ・ガリレイが考案した方法。経度測定法の発見者にはスペインのフェリペ3世より終身年金が贈呈されると聞いた彼は、木星の衛星の公転周期を観測することで経度を把握することができると主張した。

[問題点]昼間でも観察できる月と違い、夜の一定時間のみしか姿を現さない木星の観察は困難を伴うなどの理由により、却下された。

Q6 グリニッジはなぜ経度0なのか? 本初子午線はなぜロンドンにある?

ハリソンが開発したH4の登場などによって英国の航海技術は飛躍的に上がったが、ときをほぼ同じくして、フランス、スペイン、米国といったほかの主要国の研究者たちも同様の経度測定法を発見していた。経度と時差に関する知識が深まり、海上を盛んに移動するようになった各国が次に直面した問題とは、経度と時間を他国といかにして共有するかについて総意を取り付けることであった。そしてこの統一基準を作るために、1884年に米国ワシントンにて英国や日本を含む25カ国が参加する「国際子午線会議」が開催されたのである。

この会議では、既に世界における大多数の船が使用していた英国製の海図に基づいて、グリニッジを基準点とする提案が出された。同案に対して日本を含む22カ国が賛意を示したことで、グリニッジはついに世界から経度0度の地として認められ、国際的な本初子午線(経度0度0分0秒の基準子午線)を擁する基準地点と定められた。

しかし現在は、昨今のテクノロジーの進歩とともに本初子午線が修正・変更され、グリニッジ子午線の東方向に約100メートル移動している。とは言え通称として、「グリニッジ子午線」が「本初子午線」の意味で用いられていることがある。

グリニッジ子午線のライン天文台の敷地内に施されたグリニッジ子午線のラインにまたがると、西半球と東半球の境に立つことができる。観光客に人気の写真スポットだ。

ウィリアム・ハーシェルが設計した反射望遠鏡天文学者として有名なウィリアム・ハーシェルが設計した反射望遠鏡の一部。

24時間表記の時計天文台の入り口の壁に設えられた、24時間表記の時計。0.5秒単位で秒針が動いている。

標準時の設定、謎のレーザー光線の意味……
グリニッジ王立天文台をめぐる謎

経度を発見することを目的として建設された、グリニッジ王立天文台。宇宙、時間、そして船の旅と壮大なテーマが詰まったこの場所には、まだまだ多くの謎が残されている。ここでは、グリニッジ王立天文台に関する小さな疑問を集めてみた。

Q7 天文台の上に置いてある赤い球は何か?

天文台の赤い球
壮麗なフラムスティード・ハウスの屋根に
設置されたユニークな赤い球

グリニッジ王立天文台の中央に位置するフラムスティード・ハウスを見上げてみると、建物の上部に大きな赤い球が串刺しのようになって置いてあることに気づくはず。実はこの球は毎日1回、時刻を近隣地域に知らせるために利用されてきた装置なのである。

まず、12時55分に球が「串」部分の中ほどまで上がる。そして12時58分に頂点に達し、午後1時ちょうどにストンと下がることで時間を告げる仕組みとなっている。

この装置は1833年に設置され、テムズ川を渡る船が船内の時計を合わせる際に利用されていた。設定時刻が午後1時と中途半端なのは、かつてこの装置を重宝していた船員たちが、経度を測るために正午は太陽の観察にかかりきりになってしまっていたためだという。

Q8 天文台が見えない人は時計をどうやって合わせたのか?

まだ正確な時計が流通していない時代、時計の針を調整するという作業は当然、船員だけでなく、一般人にとっても日課となっていた。しかし電話もテレビも、そしてインターネットもない時代においては、正しい時間を知る方法は限られている。グリニッジ天文台は時刻を知らせる役割をも担っていたのだが、ロンドン市内のすべての場所から天文台の様子を確認できるわけでもなく、またその機会も午後1時の1回のみとあっては不便極まりない。天文台までわざわざ出掛けて時刻を尋ねる市民も多くいたと伝えられており、その度に研究が中断される天文学者たちは、こうした問い合わせに辟易としていたという。

こうした時代に「時間を売る」という商売を思いついたのが、19世紀前半を生きたジョン・ヘンリー・ベルビルであった。彼は毎週月曜日にグリニッジ王立天文台で時計の針を合わせた後にロンドン市内に出掛け、道行く人々に正確な時間を教えることを商売にしていた。主な顧客は鉄道関係者、時計職人や資産家などだったという。彼の死後は妻マリア、そして娘のルースが商売を引き継ぎ、「グリニッジ・タイム・レディ」としてロンドン市民たちの間で知られるようになったという。

Q9 夜になると見える緑の光線の正体は何か?

海上の位置を確認する便宜上の理由から人間が人工的に設定したため、通常であれば目にすることはできない経度も、グリニッジ王立天文台に行けばその存在を確認することができる。昼間の同天文台では、地面に引かれた子午線をまたいで記念写真を撮影している観光客の姿も多い。そしてこの子午線の存在は、実は夜も確認することができるのだ。夜間には、緑色のレーザー光線が北緯40度に向かって放たれて、遠方から見ると王立天文台の周辺には幻想的な雰囲気が漂う。

グリニッジ子午線中央の隙間に配された穴から放たれる緑色のレーザー光線。その線の延長線上がグリニッジ子午線だ。

Q10 グリニッジの天文台は現在でも機能しているのか?

フラムスティード・ハウスは、1957年を最後に天文台としての機能を停止した。空気の汚染や鉄道からの磁気の発生により観測が困難になったことが理由であった。その後イングランド南東部サセックス、そして同中東部ケンブリッジへと移転を繰り返したが、これらの地域も都市化の影響は避けられず、1998年までに国内の機関は完全に閉鎖。現在はスペイン領カナリー諸島にて観測データを収集しているという。グリニッジに残された施設は博物館として生まれ変わり、本特集で紹介した経度を発見するまでの歴史や、天体観測、時計の開発に関する展示が集められている。

フラムスティード・ハウス

Royal Observatory
Blackheath Avenue, London SE10 8XJ
開館時間: 10:00-17:00
入場料: 大人£10、子供£6.50
https://www.rmg.co.uk/royal-observatory

 

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