第83回 お散歩編: 棍棒の時計とハイボール
フリート・ストリートにある聖ダンスタン西教会には、ロンドン初の分針を持った公衆時計があります。時計職人トマス・ハリスが1671年10月に導入したこの時計、奥では2人の巨人が15分毎に棍棒(こんぼう)で鐘を鳴らします。思えば時計職人ギルドが教会の鐘を製造していた鍛冶屋ギルドから独立したのは、時刻の問題を教会や信仰にゆだねず、観察と実験による成果として追求したからです。
聖ダンスタン西教会の時計
ではなぜ、英国は正確な時刻を積極的に求めるようになったのでしょうか。理由は英国が外洋の航海に果敢に挑んでいた時代背景にあります。当時の航海ではコンパスと緯度航法(天体観測で緯度を計測しながら航行する方法)が頼りで、経度を測定できていなかったのです。緯度と経度の交差点でこそ外洋上の正確な位置が把握できますから、経度のない航海は危険に溢れていました。そこで1675年、チャールズ2世がグリニッジに王立天文台の建設を命じます。
17世紀のコンパス
天文観測を精緻(せいち)に行えば、経度の測定が可能と考えたからですが、成果がなかなか出ません。一方で太陽が南中する時刻を2つの地点で観測し、その時刻差から経度が測定可能とする理論がありました(1時間の時差が360度÷24時間=15度の値)。でも、当時最も正確な振り子時計さえ波に揺れる船上では正確に作動せず、科学者たちを困らせていました。
ジョン・ハリソンのおかげで正確な時刻が分かるように
ここで登場するのが大工のジョン・ハリソン。シティの時計職人ジョージ・グラハムの技能を受け継ぎ、精密な時計作りに専念しました。そしてついに退却式脱進機を装備した彼の時計が、波の揺れや気温の影響を受けず、正確に時を刻むことが示されたのです。ジェームズ・クック船長の航海でも彼の時計は大活躍。グリニッジ天文台の南中時刻に合わせておけば、目的地の南中時刻との時刻差から経度の計測が可能になりました。
(左)報時球の通常の状態(右)午後1時直前に上方に昇り、午後1時に落下する
グリニッジ天文台の屋上には、報時球と呼ばれる赤い球があります。午後1時直前に上方に移動し、午後1時と同時に落下。テムズに待機している船はこれで時刻を合わせました。そうそう、この報時球にまつわる面白い話。鉄道時代幕開けのころ、鉄道信号は報時球に似た球を使っており、下にあれば停止、上なら進行を意味しました。球が上がり出すと出発間近で機関士がチビチビ飲んでいた蒸留酒に炭酸水を入れて一気飲み。これが今人気のカクテル、ハイボールの語源とか。さぁ皆さん、ハイボール。巨人の棍棒で殴られる前に出発進行!
鉄道信号のハイボール