ロンドンにおける夏の風物詩
ノッティング・ヒル・カーニバルを
楽しむための5つの豆知識
ロンドンにいながらにして、カリブ諸国の文化を堪能できるノッティング・ヒル・カーニバルが2024年も開催。パフォーマーたちの華やかな衣装や軽快な音楽が特徴的なこのイベントは、ロンドンという街の多文化的な側面を浮き彫りにしている。ノッティング・ヒル・カーニバルに関するさまざまな豆知識を紹介する。
2024年8月24日(土)〜26日(月)
プログラムの詳細はサイトを参照
入場無料(スチール・バンド・コンペティションは有料)
ロンドン西部ノッティング・ヒル
Ladbroke Grove駅は閉鎖、Notting Hill Gate駅やWestbourne Park駅は降車専用。当日は交通規制があるので公式ウェブサイトで事前に確認を
2024年は8月24日にスチール・バンド・コンペティション(有料チケット制)、25日に子どもたちが参加するパレード、26日はメイン・パレードが開催される。また、2024年はカーニバルの中心となってきた「ウィンドラッシュ世代」が英国に来て76年目に当たる。1948年から70年代初頭にかけて、当時英領だったジャマイカなど西インド諸島から英国にやって来た移民たちが始めたカーニバルだけに、例年以上に熱いイベントになること間違いなしだ。
1 50年以上の歴史を持つカーニバル
ノッティング・ヒル・カーニバルが初めて実施されたのは1966年。ロンドンのアールズ・コートで演奏していたストリート・ミュージシャンを呼び寄せ、パレードを開催した。当時のノッティング・ヒル地区にはカリブ系移民が集中しており、その演奏を聴こうと多くの地元住民たちが詰めかけたという。今では8月最終週のバンク・ホリデー期間にカーニバルを開催することが恒例になり、毎年約100万人以上の人々が参加する欧州最大規模のストリート・カーニバルとなっている。
2 カーニバルの発祥はトリニダード・トバゴ
ノッティング・ヒル・カーニバルの起源は、カリブ海に浮かぶトリニダード島とトバゴ島を合わせた共和制国家であるトリニダード・トバゴにある。両島ともにかつては英国の植民地だった。同国では19世紀前半に奴隷制が廃止されたことに伴い、これを祝うためにカーニバルの開催が恒例化。欧州の人々の服装を風刺する目的で過度に派手な衣装に身を包んだり、白人の肌の色を茶化すため顔に白い粉末を塗った上でパレードを行うようになった。カーニバル名物のスティール・パンやリンボー・ダンスは同国の発祥。
3 発端は人種差別を原因とした暴動
ロンドンではほんの数十年前まで人種差別が深刻な社会問題となっていた。1958年には移民居住区であったノッティング・ヒルで人種差別を原因とする暴動が発生。人種差別問題に対する建設的な解決案の一つとして、その翌年には同地区でカリブ文化をテーマとしたフェスティバルが開催された。このフェスティバルは、やがて同じくノッティング・ヒルで開催されていたヒッピー文化をテーマとしたイベントと合体。規模を拡大し、現在のノッティング・ヒル・カーニバルへと発展する。
4 一時はカーニバルでも暴動が多発していた
人種差別問題を背景とした暴動に対するアンチテーゼとして開始されたにも関わらず、1970年代になるとノッティング・ヒル・カーニバル自体が暴動の温床と見られるようになってしまう。多くの場合は、カリブ系の若者とロンドンの警察との衝突だった。移民たちは、ロンドンの警察による路上での職務質問に不満を募らせていた。カーニバル期間中となると万引きや盗難といった犯罪が多発していたために、警察はさらに厳しい取り締まりを行っていたと伝えられている。
5 今では警察もカーニバルの盛り上げ役に
人種差別そして移民と警察との対立といった深刻な社会問題に直面してきたノッティング・ヒル・カーニバルだが、近年は以前よりもずっと平和的な雰囲気にあふれたイベントへと変化してきた。最近ではパフォーマーとの記念写真に応じたり、自ら踊りを披露する警察官が登場するなど、ロンドンの警察もカーニバルに対して協力的な姿勢を見せている。ノッティング・ヒル・カーニバルは、今や真の意味でロンドンの多文化社会を象徴するイベントとして運営されているのだ。