ラグビー発祥の歴史、フットボールから枝分かれして世界的なスポーツに
日本では、11月2日までラグビーの世界選手権大会「ラグビーワールドカップ2019」が開催中です。4年ごとに競う選手権で、第1回目が1987年。今年は9回目に当たります。
ラグビーといえば、イングランド中部ウォリックシャーの町ラグビーにある、名門私立校ラグビーで生まれた競技と言われています。エリート層の子弟が行く学校ですから、「ラグビーは中・上流階級のスポーツ」と認識している人もいるかもしれません。今回はその発祥について、見てみましょう。
ラグビー(正式名称はラグビー・フットボール)は、蹴ったボールを相手陣地のゴールに入れることで勝敗を決める球技、「フットボール」の一種です。その起源は古代ギリシャ・ローマ時代ともいわれています。中国発祥の「蹴鞠(けまり)」は専用の庭で鞠を蹴る技術の高さを競いますが、これが日本に渡ったのが約1400年前。遠い昔から世界中で、私たちは球状の物体を蹴ることを楽しんできたようです。
19世紀に英国がフットボールの発祥の地として認識された経緯を振り返ってみましょう。エリート層の子弟が学ぶ私立校パブリック・スクールでは、将来英国を担う存在になるために競争力を養い、健康を保つ手段として生徒(当時は男子のみ)にフットボールにいそしむことを奨励しました。
1823年、ラグビー校にいたウィリアム・ウェブ・エリス少年が競技中に「ボールを抱えて相手のゴールを目指して走った」そうで、それがラグビーという競技の始まり、という逸話が残っています。真偽の程はともかく、19世紀のラグビー校の出版物に「ある人から聞いた話」として紹介されており、現在、ラグビー・ワールドカップの優勝記念杯はエリス少年の名を取って「ウェブ・エリス・カップ」と呼ばれています。
ラグビーがフットボールとは異なるスポーツとして組織化されるきっかけを作ったのは、1863年、複数のフットボール・クラブとパブリック・スクールの代表者が集まり、学校ごとにバラバラだったルールの統一化に向けて動き出した時です。これが、フットボール協会(FA)の創設となりますが、この時にラグビー校などで許されていたボールを抱えて走るルールが禁止されてしまうのです。そのため、ラグビー式ルールを支持する人々によって、1871年、ラグビー・フットボール・ユニオン(RFU)が結成されました。
その結果、FAのルールを採用する「協会式フットボール」(アソシエーション・フットボール)と「ラグビー(ラグビー・フットボール)」の2つの流れができました。日本や米国での「サッカー」という呼び方は、「Association」(協会)の「soc」が「soccer」に変化したものです。
パブリック・スクールで奨励されたラグビーは、次第にイングランド北部の労働者階級やウェールズ地方の炭鉱労働者の間でも人気のスポーツとなっていきますが、ここでさらに「分化」の波が発生します。
ラグビーの試合は通常週末に開催されるため、週6日働く労働者階級の選手たちが試合に出るには仕事を休まざるを得ませんでした。休業補償を求めた北部のクラブに対し、アマチュア主義を貫くRFUはこれを認めず、1895年、労働者階級の選手が多いイングランド北部のラグビー・クラブはこれを不服として「ノーザン・ラグビー・フットボール・ユニオン」(のちのラグビー・フットボール・リーグ)を結成します。
こうして英国のラグビー界は、イングランド南部を母体に、大学同士の対戦などアマチュア主義を中心にする組織「ラグビー・ユニオン」と、北部を母体とする、報酬を目的とした「ラグビー・リーグ」という二派に大きく分かれることになりました。
日本では、1866年1月、横浜フットボール・クラブ(現在のYC&AC)が誕生しました。横浜の山下町公園内には記念碑が設置されています。