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Sun, 22 December 2024

知って楽しい建築ウンチク
藍谷鋼一郎

アーツ・アンド・クラフツ運動

「アーツ・アンド・クラフツ運動の父」として知られるウィリアム・モリス。生活と芸術を再統合させようとした彼の思想は当時、欧州で花開いた「アールヌーボー」や「ウィーン分離派」の活動、そして建築界などの様々な分野にわたり、多大な影響を与えた。また、今日でもその遺産は広く受け継がれている。

ウィリアム・モリスが住んでいたことを示すブルー・プラーク
ウィリアム・モリスが住んでいた
ことを示すブルー・プラーク

大量生産の背景

大英帝国が最盛期を迎えたビクトリア朝時代(1837~1901年)、英国内には工場が林立し、大量生産体制に一層の拍車が掛かっていた。熟練工を要した家内制手工業に代わり、効率が最優先された工場制機械工業が主流となり、安価な商品が都市にあふれ出した。この社会現象を痛烈に批判し、中世の手工芸の復活を声高に訴えたのが、工芸美術家であり、社会主義思想を持つ詩人であったウィリアム・モリス(1834~96年)だ。

芸術と技術を統合させる、つまり、作ることの喜びを取り戻そうとしたモリスの活動と思想は「アーツ・アンド・クラフツ運動」と称えられ、今日でも根強い支持者がいる。「モリス商会」という会社を設立したモリスは、自身がデザインしたステンドグラス、家具や壁紙などの工芸品を海外に輸出するルートを構築するなど、ビジネスマンとしても才能を発揮した。

「赤い家」

風見にもモリスの趣向が見て取れる
風見にもモリスの趣向が見て取れる
ロンドン東部の町、ベックスレイ・ヒースにある「赤い家」は、モリスが1860年からの5年間を暮らしたモリスゆかりの地である。L字形の平面で構成された建物は中庭を囲むように建ち、その庭には数々の花が咲き誇る。ビクトリア様式を彷彿とさせる赤レンガに尖った屋根、インテリアには故人が好んだ植物模様の壁紙や家具が用いられ、ステンドグラスが所狭しと散りばめられている。モリスが建築家のフィリップ・ウェッブとともに設計したこの「赤い家」は、工業化社会に対する反旗ののろしと言えるだろう。現在、この建物は歴史的建築物などの保護を目的として設立された「ナショナル・トラスト」によって管理されていて、予約をすれば見学できる。

「アーツ・アンド・クラフツ運動の金字塔」とも称される「赤い家」
「アーツ・アンド・クラフツ運動の金字塔」とも称される「赤い家」

L字型の住宅に囲われた中庭
L字型の住宅に囲われた中庭

手工芸に見る英国

庭に設置された花トンネル
庭に設置された花トンネル
英国には、新しい物を受け入れる精神と、古い物を守る精神がバランス良く共存している。機械工業による大量生産を受け入れる半面、効率の悪い手工業にも高い価値を見い出し、愛着を感じているのだ。「ナショナル・トラスト」や「イングリッシュ・ヘリテージ」など各種の保存・保護団体の活動も盛んで、建築物や公園などが消耗品として扱われていない。昨今では、ロンドンでも巨大チェーン店の進出が後を絶たない状況が続いている。しかしロンドンはそれによって自らのイメージを傷つけることなく、伝統と大量生産という相矛盾するファクターを併存させながら世界の中心都市として存在している。

モリスが唱えた芸術と技術の再統合は、伝統技術の継承を促す意味でも価値があった。大量生産や資本主義は弱小の手工業を駆逐するだけでなく、技術の継承を断絶させる恐れもあるのだ。古いものや伝統を守る精神が存在する限り、ロンドンは形を変えながらも、ロンドンらしくあり続けるだろう。

 

藍谷鋼一郎:九州大学大学院特任准教授、建築家。1968年徳島県生まれ。九州大学卒、バージニア工科大学大学院修了。ボストンのTDG, Skidmore, Owings & Merrill, LLP(SOM)のサンフランシスコ事務所及びロンドン事務所で勤務後、13年ぶりに日本に帰国。写真撮影を趣味とし、世界中の街や建築物を記録し、新聞・雑誌に寄稿している。
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