ホルムズ海峡閉鎖で高まる緊張
イラン制裁強化した英国の真意とは
核開発問題と経済制裁をめぐるイラン情勢は、英・イラン両政府による外交官の相互追放で緊張が一気に高まった。欧米諸国による制裁強化に対し、イランは原油輸送の大動脈であるホルムズ海峡の閉鎖という対抗措置を示唆した。今週は、緊張感高まるイラン情勢への英国の対応を中心に追う。
イラン周辺・ホルムズ海峡地図
英・イラン間での主要な出来事
1953年クーデター
英米政府諜報機関の支援を受けた皇帝派ザーヘディ将軍らによるクーデターで、モハンマド・モサデグ政権が失脚し、パフラヴィー朝イラン第2代皇帝モハンマド・レザー・シャーが権力を回復。1951年、モサデグ首相が、「アングロ・イラニアン石油会社(現BP p.l.c.)」から石油利権を取り戻し、イランの石油産業を国有化。その後、旧ソ連との関係を深めたため、イランは石油の国際市場から疎外され、財政難に陥る。
在英イラン大使館占拠
1980年、イラクの支援を受けていたとされる武装組織「アラブ自由と民主革命運動(DRMLA)」が、イラン国内で逮捕・収監された同志の解放を要求し、在英イラン大使館を占拠。英特殊部隊SASの介入で人質は解放された。
在テヘラン英外交官誘拐
1987年、イラン・イラク戦争で、イラン・イラク戦争で、英政府がイラクを支援しているとし、在テヘラン 英大使館のエドワード・チャップリン次席がイスラム革命防衛隊により誘拐、拷問を受ける。後に同次席は解放されるも、英政府は在テヘラン英大使館員を一時召還。
小説「悪魔の詩」
1989年、イラン最高指導者の故アヤトーラ・ホメイニ師が、小説「悪魔の詩」がイスラム教に対する冒涜であるとし、イスラム教徒に対して同書の作者であるインド出身英国人作家サルマン・ラシュディの殺害に関する宗教的布告を発出。
ペルシャ湾沖英海軍拘束
2007年、ペルシャ湾に注ぐイラン・イラク国境地帯を流れるシャットゥルアラブ河口で、イラン領域に侵入したとして、パトロール中の英海軍兵士15人がイラン海軍の捕虜に。これを受け、在テヘラン英大使館前で学生らによる抗議デモが発生。数カ月後、捕虜15人は解放。
アハマディネジャド大統領
英大使館員スパイ容疑
2009年、アハマディネジャド大統領の再選に対する抗議デモの最中に、英仏大使館職員及びフランス人大学教員らが拘束される。うち在テヘラン英大使館現地職員のホセイン・ラサム氏がスパイ容疑で逮捕されたが、2010年に釈放。
イラン国営プレスTV
2012年1月、英国の放送・通信を監督する英監視機関Ofcomが、放送規則への違反があったとして、イランの国営英語チャンネル「プレスTV」の英国内における放送免許を取り消し。
経済制裁とホルムズ海峡閉鎖
1月15日、ヘイグ英外相が「イランに対する軍事行動を(選択肢として)排除しない」と述べた通り、23日、英海軍艦船HMSアーガイルがホルムズ海峡を通過しペルシャ湾(またはアラビア湾)に入湾し、米仏海軍艦隊とともにイランに対する圧力を一層強めた。
昨年12月、イランのラヒミ第1副大統領は、欧米諸国がイランに対する経済制裁を強化した場合、湾岸諸国から欧米諸国への原油輸送の大動脈であるホルムズ海峡を閉鎖し原油を一滴も通さない旨を警告。更には、海軍サヤリ最高司令官が、同海峡の封鎖は「コップの水を飲むより簡単」と述べたことを受け、原油価格は一時急騰するなど欧米諸国間で原油供給に対する不安が広がった。
今般の米英仏艦船によるペルシャ湾入港は、こうしたイランの強硬姿勢をけん制するとともに、同国の核兵器製造、及びイスラエルに対するミサイル攻撃などによる新たな中東戦争勃発を阻止するためであるとされる一方、米軍のイラク・アフガニスタン撤退により、中東地域におけるイランのプレゼンスの高まりを未然に防ぐなどの目論見も垣間見られる。
英・イラン外交官相互追放へ
昨年11月、イランによる兵器製造の疑いがあることを示唆した国際原子力機関(IAEA)の報告を受け、オズボーン財務相は同国に対する新たな経済制裁を表明。イラン中銀との取引停止を要請す るなど、事実上の原油輸入停止を示唆した。これに対し、イラン議会がチルコット在テヘラン英大使の国外追放を可決すると、数日後にはイラン人学生らによる在テヘラン英大使館襲撃事件が発生。 同事件に関与した学生らは、イランの軍事組織イスラム革命防衛隊傘下の民兵組織「バシジ」のメンバーと見られることから、イラン当局の介入が濃厚であるとして、11月29日、ヘイグ外相は在英イラン外交団を国外追放とし、在テヘラン英国大使館を閉鎖する旨を表明した。
外交手腕による対立緩和の可能性
イランの最高指導者ハメネイ師(写真左)
在テヘラン英国大使館が襲撃対象になった主な要因は、1980 年以降イランとの国交を断絶している米国に代わる「欧米諸国の象徴」であるためとの見解がある一方で、これは英・イラン間の緩慢 した外交問題が表面化した典型例で、パターン化した結末であると分析する専門家もいる。他方、イランに対する制裁が、これまでの物資調達から資金源へと変化した背景には、イラン保守派中枢 の内部分裂を更に広げるためであるとの見方もある。最高指導者ハメネイ師とアハマディネジャド大統領の間に現れ始めた溝を利用し、今年3月に国会選挙を控えるイラン政権の弱体化を一気に推し進める狙いだ。
これまで英・イラン両国は、1980年在英イラン大使館占拠事件、1989年在テヘラン英外交官誘拐事件、2007年ペルシャ湾沖英兵捕虜事件などが発生する度に、外交官召還などの措置を取りつつも国交の断絶は回避してきた。今回も英政府は、イランとの国際会議での協議に応じる姿勢を崩しておらず、双方の外交機略次第で、非暴力的な対話のテーブルで向き合う公算もまだ残されている。
Ayatollah Seyed Ali Hoseyni Khamenei
セイエド・アリ・ハメネイ師。1939年生まれ。イスラム教シーア派の有力な宗教指導者に与えられる「アヤトーラ(高位ウラマー)」の称号を持つ。現イラン・イスラム共和国建国の父アヤトー ラ・ホメイニ師の下でイスラム法学を学ぶ。79年、皇帝政権を奪取した「イスラム革命」に参画。81年大統領に選出。89年、ホメイニ師死 去後、最高指導者及び革命防衛隊の最高司令官に選出。2009年、保守強硬派のアハマディネジャド大統領が再選すると、選挙不正を訴える改革派の支持者たちによるデモが発生。ハメネイ師は保守派を支持する姿勢を明確にした。(吉田智賀子)
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