イギリス近代演劇の確立者と言われる劇作家、バーナード・ショーの言葉である。ミュージカル「マイフェアレディ」の原作となった「ピグマリオン」の作者と言えば、一般にも馴染みやすくなるだろうか。辛口の皮肉屋として知られ、一番の愛読書は? と質問されて、銀行の預金通帳さと嘯(うそぶ)いたなど、気難しくも超俗的な人柄を偲ばせるエピソードは多い。虎狩りというものが、人間の側から見るか虎の側から見るかによってがらりと様相を違えるのと同じく、犯罪と正義の定義も、立場や見方によっていくらでも変容し得るとした今回の言葉も、いかにもショー一流のシニカルな炯眼(けいがん)がとらえた世の中の「真実」に相違ない。
ただ、その意味するところをより深く理解しようと思えば、やはりこの劇作家がアイルランド出身であるという事実に行き当たらざるを得ない。イングランドによる長い支配と圧政にアイルランドは呻吟(
しんぎん)
し、その痛みは、幾重にも屈折した心理が放つ言葉の業火となって過激な熱を帯びるところとなった。皮肉や風刺、自己韜晦(
とうかい)
的な諧謔(
かいぎゃく)
は、「ガリヴァー旅行記」のスウィフト以来、アイルランド文学に一貫して流れる文学的DNAだ。
このショーの言葉に接するたび、私は一人の人物を想起する。ロンドンのビッグベン、国会議事堂の前に堂々と像の立つオリヴァー・クロムウェル。17世紀、王権を倒して市民革命を導いた議会派の中心人物であれば、今も国会に祀られるのは当然と言える。だが
その同じ「偉人」が、ピューリタン的情熱に駆られ、カソリック憎しとアイルランドに攻め入り、各地で大虐殺を繰り返したとあれば、話は一気に逆転する。海峡を越えた途端に、「正義」は「非道」にひっくり返る。現にアイルランドでは、クロムウェルは今なお、先祖代々の憎しみを背負うイングランドの「クソ野郎」の代表人物なのだ。
もちろん、ショーの言葉は、民族的情熱に駆られた懐の狭い愛国主義に固まったものではない。刃(やいば)を向けられたのは、あらゆる意味での社会的偽善そのものである。少年院の教
戒師の如く、ものごとの本質に目を覆ったまま、したり顔で古い道徳を説くような者には、反発を感じたのだろう。世の中で説かれる正義が内包する偽善に、熱い胸は我慢ができないのだ。まさに虎のように、ショーは吼えざるを得なかったのである。
その意味では、ショーの言葉は、文面上の表層で理解を留めてはいけない。犯罪と正義
の差に懐疑の文言を発した劇作家は、その実、両者の決定的な差を誰よりも知る人だった
に違いないのである。
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