現代英国の発明家、トレヴァー・ベイリス氏がモットーとする言葉である。電気のないアフリカの人々にも情報は必要だと、電気も電池も必要のない、手巻きラジオ(windup radio)を作ったことで世界的に知られる。企業の商品開発とは全く異なる次元でものごとを発想する、ユニークな発明家だ。
以前、長年勤めた会社を辞める決心をする時、この言葉に後押しされた。潮に流されて死に体でいるより、潮に逆らってでも自分らしく生きたいと、そう思った。とはいえ、とかくしがらみの多い日本人社会である。この言葉の力にすがるようにしてでなかったなら、清水の舞台から飛び降りるような行動がとれたかどうか、わからない。
ベイリス氏の言葉は、一から十までオリジナルということでもないらしい。「Only dead fish float with the current. Live fish swim against it.(死んだ魚だけが流れに浮く。生きた魚は流れに逆らって泳ぐ)」という、もとは誰の言葉かは不明ながら、古い表現もあるようだ。
ヴィジュアルなイメージとしては、死んだ魚が「current(流れ)」にぷかぷか浮いている方が、わかりやすい。だがここは、やはり「tide(潮)」とした方が意味が深い。しかも、ただ「float(浮く)」のではなく、「swim(泳ぐ)」とあるからこそ、メッセージ性がきわだつ。身の回りを見渡せば、いくらでもいるではないか、世の大勢になびいて、すいすいと泳ごうとする奴。本人は世渡り上手と思っているのだろうけれど、そこに本当の自分らしい生き方はない。会社のトップが替わるなどして潮が変われば、一気に高波にさらわれる。
ベイリス氏はテムズ川の浮島に、愛犬と住んでいる。テムズの流れは、潮の満ち引きに応じて、流れの方向を変える。上げ潮となれば、砂塵や泥濘を巻き上げるようにして、下流から途方もない勢いで水を押し上げる。そして引き潮の時間になれば、川は何食わぬ顔をして、上流から下流へと水を運ぶ。潮は変わる。世の勢い、大勢というものも、そうしたものだ。そのことをベイリス氏は知って、潮に乗じて泳ぐような生き方を否定したのだろう。我が道を行く美しさ、つつましくも真に自分らしく生きる凛乎とした生き方を、私はこの人のこの言葉に学んだ。
実は、過去に一度だけベイリス氏本人と会ったことがある。着古したよれよれのジャケットを着て、とても風采が上がるようには見えなかったが、快活として、清々しさを感じさせた。パイプを離さず、煙に巻くという言葉そのもののような冗談を延々と放ち続ける姿は、飄々(ひょうひょう)として、自由の風をまとっていた。英国の持つ最も健やかな精神が、そこに輝いていた。
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