第22回 ゼロ・アワー契約の落とし穴
英中央銀行・イングランド銀行のカーニー総裁は7日、失業率が7%を下回るまで史上最低金利の0.5%と量的緩和策を維持する方針を明らかにした。米連邦準備制度理事会(FRB)は既に緩和策解除の条件として失業率低下を掲げており、英中銀も追従した格好だ。
カーニー総裁は中期的にインフレ率が2.5%を上回れば緩和策を見直すとし、「英国の経済回復の足取りは歴史的に見ても弱い」と慎重な見方を示した。現在の失業率は7.8%。7%まで下げるには75万人の雇用を創出しなければならず、総裁は「2016年半ばまで現在の緩和策は維持されるだろう」とも述べた。
前評判では積極緩和に動くとみられていたカーニー総裁が失業率とインフレ率の両方をにらんだ金融政策をとらざるを得なかったのは、40カ月連続で生活費の上昇率が賃金のそれを上回っている英国経済の厳しい現実がある。平均時間給は2009年の12.25ポンドをピークに下がり続け、現在は03年レベルの11.21ポンドにまで落ち込 んだ。23年まで待たないと世界金融危機前の生活水準には戻らないとも言われている。欧州単一通貨ユーロ圏(17カ国)の失業率は12.1%。ユーロ安定のため財政再建と経常収支の黒字化を強いられ南欧諸国の内需は落ち込み、失業率は膨らんだ。単一通貨の構造的欠陥によるハンディキャップを加味しても英国の失業率7.8%は「上出来」と みることができる。しかし、これにはカラクリがある。
欧州連合(EU)指令で10年以降、12週間以上働いたパートタイマーに対して、EU域内では正規雇用者同様の権利を与えなければならなくなった。そこで英国では「ゼロ・アワー契約」と呼ばれる雇用形態が生み出された。学生や年金生活者がフルタイムの雇用に縛られず、好きな時間に働くことができると言えば聞こえは良いが、実際には景気後退の対策として人件費削減の方便に使われているのが現実だ。
ウィリアム王子とキャサリン妃の第1子、ジョージ王子誕生に沸くバッキンガム宮殿でもこの夏、コスト削減のため350人とゼロ・アワー契約を結んだと英メディアが一斉に報じた。この契約では雇用者の必要に応じて労働者は働くが、必要がなければ仕事にはありつけない。もちろん有給休暇はゼロ。だが仕事が全くないより少しでもある方がましなため、ゼロ・アワー契約に甘んじなければならないという一つの構図ができあがっている。
英国家統計局はゼロ・アワー契約の労働者は20万~25万人(就労者全体の0.84%)と推定していた。しかし、民間の研究機関CIPDが調べたところ、実はその4倍の100万人(同3~4%)に上る可能性が出てきた。その38%は週に30時間以上働いており、正規社員とほぼ同じ勤務なのに、待遇は大きく異なるという実態も浮かび上がった。CIPDのピーター・チーズ最高経営責任者は「ゼロ・アワー契約を雇用者が責任を逃れるために使うことはできない」とクギを刺している。
大阪市西成区あいりん地区の近くで育った僕は高校時代、日雇い労働者に交じって建設現場で働いたことがある。全国から出稼ぎに来る彼らは資本主義、すなわち景気変動の「調整弁」だった。それでも30数年前の日本には仕事はあふれるほどあった。
英国ではいま「調整弁」代わりのゼロ・アワー契約が100万人、しかも、その範囲はホワイトカラーの専門職にまで広がっている。ボランティア、公共部門、小売、ファストフード店、ホテル、映画館の従業員から国民医療制度(NHS)の医師にいたるまでがゼロ・アワー契約を結んでいる。
キャメロン首相は野党党首時代の06年、「いま、私たちは人生にとってオカネ以上のものがあることを認め、国内総生産(GDP)だけではなく、一般の幸福(GWB、general well-being)に注目すべきときを迎えた」と述べたことがある。しかし、世界金融危機を境に英国民の生活水準は落ち込む一方で、GWBは最悪のレベルに達している。僕の周りにも「物価は上がっているのに仕事が減って、蓄えを食いつぶす一方だ」と嘆いている人は少なくない。ゼロ・アワー契約の拡大は、英国経済そのものがゼロ・アワーに陥っていることを物語っている。
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