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Sun, 24 November 2024

第128回 ロンドン大火と明暦の大火

9月2日はロンドン版「防災の日」です。1666年9月2日に発生したロンドンの大火、その灼熱地獄は4日間続いてシティの8割を焼き尽くしました。当時の天候記録によれば6月下旬から猛暑が始まり、7、8月は極端に降雨の少ない乾燥した夏。木造建築が極度に乾燥したところに、プディング・レーンにある王室御用達のパン屋、トマス・ファリナーの店から出火します。火は東からの強風に煽られ、みるみる西に向かい延焼。鎮火したのは東風が弱まった5日になってからでした。

出火地点から見た大火記念塔
出火地点から見た大火記念塔

当時の納税申告書には竈(かま)税の支払人と竈の設置場所が書かれています。それによると、トマスは5つの竈と1つのオーブンをパン屋ではなく、その裏手のフィッシュ・ヤードにある作業所に保有していました。彼の主な業務が大きな作業所で海軍食糧局向けにハードタック(堅パン)を製造することであり、その脇で庶民にパンを販売していたことが分かります。

17世紀の竈(ロンドン博物館蔵)
17世紀の竈(ロンドン博物館蔵)

当時の英国はオランダと戦争中で、海軍から堅パンの大量注文を受けた作業所は、毎日深夜までフル操業。そんな折、ロンドン大火が起きました。カトリック教徒や外国人による放火説が流れ、自白した者が絞首刑に。それを告知する石碑も建てられました。でもその人物が火災当日、ロンドンに不在だったことが処刑後に判明し、事件は迷宮入りします。それから320年後、パン屋職人ギルドがトマスの作業所の火元不始末が原因だった、と謝罪します。

放火の犯人はカトリック教徒と書かれた記念碑が18世紀まで飾られた
放火の犯人はカトリック教徒と書かれた記念碑が18世紀まで飾られた

元をたどれば、海軍からの大量の堅パンの注文が火事の原因とも知らず、消火活動に従事した人や数万人の被災者は支給された堅パンを喜んで食べました。国の上層部はあえて真犯人の追求に力を注がず、お国のため懸命に働いたトマスを擁護したのかもしれません。実はこれに似た話が日本にもあります。ロンドン大火の9年前、1657年に起きた明暦(めいれき)の大火(俗に言う振袖火事)です。

明暦の大火を描いた「江戸火事図巻」
明暦の大火を描いた「江戸火事図巻」

明暦の大火は江戸時代最大の延焼面積と10万人の死者を出した大惨事。現在の文京区、本郷の本妙寺から出た火は乾燥した北西風に煽られ江戸の町の6割を焼尽。原因は怨霊の仕業、つまり「病死した少女の振袖を寺で供養したら天井に燃え移った」と。でもそれから343年後の平成12年、本妙寺が沈黙を破ります。寺の隣家、老中の阿部忠秋邸から出火したが幕府の権威失墜を防ぐため寺が身代わりになったのだと。ちなみにこのお寺には遠山金四郎の墓があり、「この桜吹雪とお天道様がすべてお見通しだわい」と今でも言いたげです。

明暦の大火供養塔(本妙寺)
明暦の大火供養塔(本妙寺)

 

シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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