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Sun, 10 November 2024

第171回 ピョートル1世とサミュエル・ピープス

タワー・ヒル駅の西側にムスコヴィ通り(モスクワ大公国通り)があります。ロシアとの貿易を狙った英国初の勅命共同投資会社ムスコヴィ会社が設立されたのは1555年。そのオフィスがこの近くにありました。後にロシア初代皇帝となるピョートル1世は1697年から1年半、ロシアの近代化を目指して西欧各国を訪れ、視察を行います。ロンドンに長期滞在してこの周辺も頻繁に訪れました。

かつて近くにムスコヴィ会社があったかつて近くにムスコヴィ会社があった

ピョートル1世は偽名を使って使節団に参加します。2メートルを超える身長だったためすぐに周囲に素性がバレてしまったものの、英国王立天文台や造幣所、造船所、海軍関連施設を訪れた際に多くの知遇を得ました。ただ残念なことに、ムスコヴィ通り近くにあった英海軍施設を訪れても、当時すでに海軍省を退官していた作家のサミュエル・ピープスと会うことはありませんでした。

ロシア皇帝ピョートル1世ロシア皇帝ピョートル1世

ピープスは有能な事務次官として海軍大臣を補佐し、個人的には日記作家として王政復古、ペスト大流行、ロンドン大火を詳細に描いた英国の激動時代の生き証人です。ピープスがかつて勤務し、住んだ海軍省ビルはムスコヴィ通りの対面にあり、今は大手の国際ホテルです。その正面玄関前にはピープスの胸像が飾られ、庭にはピープスの生きた時代に関連するモチーフが彫られた30枚の敷石があり、激動のロンドンを彷彿とさせます。

ピープスの胸像ピープスの胸像

まず1665年のロンドンでペストが大流行。ロンドンで10万人、市民の2割が死亡したと言われる大災害です。国王チャールズ2世を筆頭に、医者も商人も裕福な人は郊外へ疎開。死亡したのはロンドン東部の貧しい人々で、疫病は貧富の差に比例して襲いかかりました。ピープスは夫人を疎開させ、人影薄いロンドンで独身生活を満喫。一方、この災害を機に死亡統計の精緻化が進み、後に生命保険が生まれます。また、大学が閉鎖されて実家の庭で読書していた学生のニュートンが、リンゴの落下を見て万有引力を着想しました。

科学者ロバート・フックの描いたノミの敷石。当時、ペストの原因は不明だった科学者ロバート・フックの描いたノミの敷石。当時、ペストの原因は不明だった

次の大惨事は1666年のロンドン大火。猛火が自宅に迫って来るとピープスはパルメザン・チーズとワインを庭に埋めたと日記に書いています。当時、パルメザン・チーズは借金の担保に利用できたそうです。ワインの銘柄は不明ですが、これもかなり高価なものだったのでしょう。しかし、王家の王道を歩んだピョートル1世が、緊急事態の際でも貴重品は地中に埋める、したたかな庶民ピープスと出会っていたら、どんな印象を持ったでしょう。

パルメザン・チーズとワインの敷石パルメザン・チーズとワインの敷石

 

シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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