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Mon, 23 December 2024

第179回 サンドイッチと文化の日

手軽なサンドイッチは18世紀後半、第4代サンドイッチ伯爵のジョン・モンタギューにより発明され、伯爵の誕生日の11月3日がサンドイッチの日として定められたとよく言われます。でも実際には、サンドイッチ伯爵がロンドンのパル・マルにあった紳士クラブでトランプ賭け事に夢中になり、食器を使う手間が惜しくてミート&ブレッドを必ず注文したことが世に広まり、伯爵の名前が食品の代名詞になって普及したと考えられます。

第4代サンドイッチ伯爵第4代サンドイッチ伯爵

多忙なときは食事にナイフやフォークを使わず、少し行儀悪いですがお箸に代わって5本指を使うことは日本でも同じです。江戸前寿司がファスト・フードの屋台で始まったことは有名で、鉄火巻の発祥も面白いですね。賭博場を鉄火場(賭け事に夢中になる人の顔も燃える鉄のように赤くなる)と言いますが、そこでファスト・フードとして提供されたのが鉄火巻と言われ、サンドイッチと賭け事の関係を彷彿させます。

サンドイッチと鉄火巻サンドイッチと鉄火巻

シティにはたくさんのサンドイッチ店や「正真正銘の日本の商品」と名乗るスシ店が多くあります。昼休みになると長い行列ができ、急いで商品を買ってはデスクでランチをするビジネスマンの姿を見るのは日常茶飯事。それはまるでサンドイッチ伯爵や忙しい江戸時代の慌ただしい鉄火場とあまり変わらない風景かもしれません。ただ最近はコロナ禍でオフィス街の人影はまばらですが。

8世紀初頭の紳士クラブの様子8世紀初頭の紳士クラブの様子

ところで、サンドイッチはいつごろから日本に普及したのでしょう。まず、食パンが日本に登場したのは1860年。居留する西洋人相手に横浜で英国人ロバート・クラークがパン屋を開業しました。ホップを用いた軟らかい食パンが人気を博したそうです。また、1874年、英国人ウィリアム・カーティスが横浜近郊に牧場を開き、日本で最初にハムを製造。その後、日本人によるハム作りも始まり、それが鎌倉ハムの由来になります。当初はどちらも居留人向けの食品でしたが、次第に日本人も消費するようになっていきました。

ハム・サンドが駅弁として登場したころの汽車の旅ハム・サンドが駅弁として登場したころの汽車の旅

時は文明開化の時代、東海道線の大船駅前で旅館を営む大船軒がサンドイッチの駅弁を思い付きました。1899年、駅弁としては日本初の、鎌倉ハムを用いたハム・サンドが販売されます。旅のロマンと異国の食材を楽しむ体験が小さな弁当箱に詰まっていました。これが流行してサンドイッチが日本社会に広まっていきます。なるほど日本では11月3日はサンドイッチの日ではなく文化の日。忙しい人の栄養補給は異文化体験にまで高まりました。

ハムと食パンは文明開化の香りハムと食パンは文明開化の香り

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シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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