Fri, 03 May 2024

第245回 英国の印刷街はこうして生まれた(前編)

シティと法曹街テンプルを結ぶフリート街を西に進むと、政治の中心地ウェストミンスターに到達します。かつて新聞街と呼ばれたフリート街からは多くの新聞社が転出してしまいましたが、それでも経済のシティ、法律のテンプル、政治のウェストミンスターを貫くフリート街は地理的、歴史的にも大変ユニークな存在なので、今後も印刷街の聖地として存在し続けることでしょう。今回はその印刷街の歴史をご紹介したいと思います。

現在のフリート街の様子現在のフリート街の様子

1450年ごろにヨハネス・グーテンベルクがドイツに導入した活版印刷技術は、欧州大陸に瞬く間に広まりました。教会も多くの贖宥状 (しょくゆうじょう)を印刷し教徒に販売しましたが、金銭で罪を(あがな)うのは不適切だとするドイツ人の神学者マルチン・ルターが、宗教改革運動を始めるきっかけともなりました。欧州大陸では、ラテン語などの外国語の印刷物が出回った後、すぐに自国語版が作られた一方、英国はそれとは異なる形で活版印刷が導入されました。

商人ウィリアム・キャクストン商人ウィリアム・キャクストン

シティの商人が出自のウィリアム・キャクストンは、15世紀半ばに毛織物産業の盛んなフランドル地方に住み、羊毛の商売をしていました。当時流行していた活版印刷に興味を抱いていたキャクストンに、エドワード4世の妹でブルゴーニュ公国夫人のマーガレット・オブ・ヨークから声が掛かりました。金銭的な支援をするから古代ギリシャ・ローマの物語を英語で出版して欲しいと。早速キャクストンは英語版「トロイ史集成」を出版。これが大ヒットしました。

マーガレット・オブ・ヨークに出版した本を渡すキャクストンマーガレット・オブ・ヨークに出版した本を渡すキャクストン

1476年、キャクストンはロンドンに戻り、ウェストミンスター寺院近くに印刷所を開き、「カンタベリー物語」を出版しました。当時の英語はまだ統一されておらず、印刷された書籍を通して徐々に標準化されていきました。キャクストンのパトロンだったヨーク家はバラ戦争で衰退しますが、代わって1485年にチューダー朝を開いたヘンリー7世の、母親であるマーガレット・ボーフォートがキャクストンを応援するようになりました。

キャクストンの印刷所のメモリアル(ウェストミンスター寺院所蔵)キャクストンの印刷所のメモリアル(ウェストミンスター寺院所蔵)

欧州大陸で宗教改革運動に火をつけた活版印刷は、英国では貴族の教養を高めるために導入された後、チューダー朝の政治基盤を強くするための道具として利用されました。ヘンリー7世は勅令を印刷して配布し、歴史書を出版して自らの王朝の正統性を主張。海外からの書籍輸入を制限しました。欧州が、活版印刷の導入で思想の自由を求める運動に向かう一方、英国では絶対王政下で思想の統制に向かうという真逆の結果になりました。

エドワード4世に印刷技術を披露するキャクストンエドワード4世に印刷技術を披露するキャクストン

寅七さんの動画チャンネル「ちょい深ロンドン」もお見逃しなく。

 
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シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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