Fri, 03 May 2024

第246回 英国の印刷街はこうして生まれた(後編)

前号ではヘンリー7世が政治基盤強化のために活版印刷を利用したことに言及しました。ヘンリー7世は1504年、ノルマン・フレンチ出身のウィリアム・ファークスを最初の「王の印刷者」(King's Printer)に任命し、法令書を出版させました。その2年後には同郷のリチャード・ピンソンをファークスの後継者として任命。ピンソンは法律家の多く住むテンプルに近い、フリート街にある聖ダンスタン教会の隣に店を移転しました。

リチャード・ピンソンリチャード・ピンソン

次の王様ヘンリー8世は、1518年にピンソンの出版した本を他者が出版できないよう保護しました。これが英国初の著作権といわれます。ピンソンは400冊以上の専門書を出版しましたが、中でも1521年の「七つの秘蹟の擁護」が有名です。それはヘンリー8世が宗教改革運動を進めるマルチン・ルターを批判するために書いた本で、この本に歓喜したローマ教皇レオ10世はヘンリー8世に「信仰の擁護者」の称号を与えました。

ピンソンが出版した「七つの秘蹟の擁護」ピンソンが出版した「七つの秘蹟の擁護」

そのころ、ピンソンの良きライバルとされていたのがウィンキン・ド・ウォードです。1492年に師匠であるウィリアム・キャクストンの印刷所を受け継ぎ、フリート街の聖ブライド教会近くに店を出していました。ド・ウォードは商売繁盛を願い、①書籍のジャンルを増やす、②書籍販売店を聖ポール大聖堂の広場に開く、③挿絵を増やし、イタリック字体を使って読みやすくする、④欧州大陸の高級紙を使わず、イングランド東部ハートフォードシャーから安い印刷紙を仕入れる、などに努め、書籍販売の拡大と書籍の普及に貢献しました。

ウィンキン・ド・ウォードウィンキン・ド・ウォード

王様の息のかかったピンソンの専門書と、庶民向けのド・ウォードの一般書の両輪によって、フリート街は印刷と出版の街として繁栄していきました。ところがヘンリー8世の宗教改革以降、絶対王政が強化されて出版の検閲が厳しくなりました。王室はシティの出版書籍ギルドに書籍の検閲役を命じ、言論の自由がどんどん失われていきました。

政治・法律・経済を貫くフリート街政治・法律・経済を貫くフリート街

やがて17世紀に入り、フリート街の聖ブライド教会裏手の印刷所から思想の自由を主張し、革命の必要を説いたのがジョン・ミルトンです。絶対王政に反対するパンフレットが国全体に広まり、清教徒革命が進んでいきました。ついに英国でも活版印刷機を利用して思想の自由を求める運動が広がったのです。

聖ダンスタン教会(左)と聖ブライド教会(右)聖ダンスタン教会(左)と聖ブライド教会(右)

寅七さんの動画チャンネル「ちょい深ロンドン」第21話「ブラックフライアーズとフリート街」もお見逃しなく。

 
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シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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