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Sun, 24 November 2024

第250回 ロンドン港の汽笛は諸行無常の響き債務者監獄とディケンズ(前編)

シティの南側、テムズ川を渡るとサザックです。シティの目前にあって交通便利な商業地のため、中世から英王室はサザックの土地の利用権をシティや有力な司教に販売し、売られた土地はマナー(荘園)やリバティー(自由区)などと呼ばれる特殊な地区になりました。バラ・ハイ・ストリート周辺はシティ管轄のリバティーでしたが、王立造幣所があったため、その周辺だけはシティの行政権が及ばない飛び地になりました。

緑色のシティ管轄下に赤色の飛び地緑色のシティ管轄下に赤色の飛び地

もともと、王立造幣所のできる前、そこにはサザック随一といわれた初代サフォーク公爵の邸宅がありました。サフォーク公爵はヘンリー8世の寵臣で、1536年にその邸宅をヘンリー8世に譲ると敷地の一部に王立造幣局が作られました。造幣局は次の国王エドワード6世に引き継がれましたが、そのころ、邸宅と造幣局の周辺がシティのリバティーに編入されました。でも王室の邸宅と王立造幣局は引き続き国王の管轄でした。

通りの左手にサフォーク公爵の邸宅通りの左手にサフォーク公爵の邸宅

現在のサフォーク公爵邸の跡地現在のサフォーク公爵邸の跡地

間もなくエドワード6世は若くして崩御し、次の女王メアリー1世がその造幣局を閉鎖してこの一帯を教会に売り、そして教会がさらにこれを民間に払い下げてしまいました。その跡地には多くの家屋が建てられ、小さな集落ができました。ところがこの集落には依然としてシティの行政権が及ばず、16世紀終盤の不況で債務の不履行者が急増すると、借金に追われた債務者がシティの行政権の及ばないこの地区に逃げ込むようになりました。

借金取り立て人はこの地区の外側で債務者を待ち伏せました。当時、日曜日の借金取り立てが法律で禁止されていたので、逃亡者は債務不履行者と気付かれないよう豪華な服装をして日曜日だけ外出したので「サンデー・ジェントルマン」と 揶揄 (やゆ) されました。うっかりこの地区の外で捕まると、バラ・ハイ・ストリートの向かいにあった債務者用のマーシャルシー監獄に収監されました。このころは裁判で刑が確定するまでの留置所でした。

借金逃れの逃亡者が駆け込んだ町並み(左が1825年、右が2023年)借金逃れの逃亡者が駆け込んだ町並み(左が1825年、右が2023年)

当時の監獄は上流階級が営利目的で運営することが多く、収監された人は家賃、食事、衣服などの代金を自分で支払わければならず、一方で、看守などに 賄賂 (わいろ) を渡せば、恣意的な運用がなされるという腐敗の温床でもありました。チャールズ・ディケンズの小説「リトル・ドリット」に登場したことでマーシャルシー監獄は有名になり、同時に監獄改革の対象にもされました。(後編に続く)

マーシャルシー監獄が舞台となった、ディケンズの「リトル・ドリット」の表紙マーシャルシー監獄が舞台となった、ディケンズの「リトル・ドリット」の表紙

寅七さんの動画チャンネル「ちょい深ロンドン
第22話「ロザハイズのドックと歴史」もお見逃しなく。

 

シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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